見出し画像

坂道を転がるように季節が彩を削ぎ落とし
ひとりに慣れた部屋が赤い色を欲しがるから
私の血によく似たダリアを買い与える
全部嘘でもいい、全部幻でもいい
点は線に嫉妬し、線は点に憧れる
愛したものだけに与えられた色
ひとつずつ、まるで名前のように

シャーリプトラよ、冷たい雨に打たれて
初めてその冷たさを知る人もいる
涙を紛らす人もいるんだよ
何かを成し遂げたくて生きてるわけじゃない
ただほんの少し、ほんの少しでいいから
褒めて欲しいだけ
遠く鐘の響きを聞きながら
拾うのは輝きさえ失くした石ころ
道が伸びている
足元から空へと光を放ち

シャーリプトラよ、この世界の人は誰も
片想いをしてるようなものだよ
伝えても伝えても伝え切れなくて
それでも伝えようとしてる
まるで花の姿にも似て
ありがとうシャーリプトラよ
このまま悪い子で生きていくよ
私は私の言葉で、誰も救えないかも知れないけど
だからあの人に伝えて
私はその空に雲を描き足したの
いつか消えてしまう雲を

ーーーーーーーーーーーーーー

読んでいただきありがとうございます。

長野市の善光寺で毎月おこなわれている「びんずる市」に出店した時の事、終わって一息ついて境内をぶらぶらしていたら、鐘の音が聞こえてきて、本堂から般若心経を唱える声が聞こえて来ました。風流だなと思っていた時に、ふと、般若心経を詩にしてみたらどうだろうか思い、どうせなら私なりの解釈で、思い切り意訳して書いてみようと思ったのがきっかけです。

一見お釈迦様の教えと正反対の事を唱えながら、お釈迦様の本当に伝えたかった事を浮き彫りにしていくという逆説的な方法で、実はああ言っているけど本当はこう言いたかったんではないかという、全て私の勝手な想像なのですが、お弟子さんを挟んでお釈迦様に主人公が反論するという形で表現したつもりです。個人的には気に入っている詩なのですが、自分で気に入ってるものに限って評判は・・・う~ん・・・です。

でも、詩的にどうかという事は置いといて、私の創作活動の最も根源的なテーマ、詩を書いていく上で一番伝えたい事全てが入ってる気がします。


読んでいただき、ありがとうございます。 ほとんどの詩の舞台は私が住んでる町、安曇野です。 普段作ってるお菓子と同じく、小さな気持ちを大切にしながら、ちょっとだけ美味しい気持ちになれる、そんな詩が書けたらなと思っています。