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しあわせのねだん#読書日記

お金を使うことの心理みたいなものが書いてあっておもしろかった。

直木賞作家として有名な角田さんだけど、小説はあまり読まないので、著書を読むのは初めてだった。

この本には、著者が買ったものとその値段、その時のエピソードが書かれている。

ある日のランチ、バレンタインのチョコレート、旅先(ニュージーランド)のランチとコーヒー、待ちぼうけ中に入った喫茶店の豆乳入りアイスコーヒー。

その内容は、値段の高い低い、食べもの、体験、旅行といろいろだ。

お金を使うことで、世界の解像度が上がる 

費用がほとんど代金に含まれているツアーや、出版社に依頼された取材旅行に出かけた角田さん(支払いはほぼ出版社の同行者)。

何かを満たした、理解したという気分がいつもの旅より格段に薄かったことに、愕然とする。

なぜなら、お金を使わなかったから。

食堂の定食、お土産の値段、バスの運賃など。

現地の暮らしに触れたつもりでも、お金の感覚が欠落しているだけで、そこが何か遠い場所に思えてしまうのだろう。

お金を使うには、自分の中にものさしが必要だ。自分のものさしで測ってみて、高かったらためらうし、安かったらあまり悩まずにお金を使える。

そして、自分のものさしをつくるために、周りをよく観察して、自分で選ぶということくり返す。

そうして感覚も研ぎ澄まされ、世界の解像度もどんどん上がっていくのだと思う。もちろん、旅先でも。

お金を使って、ゆたかになる

貯金額が異様に高いけれど、中身が何もなかった人に出会った時のエピソードが一番印象に残っている。

映画も見ず、酒も飲まず、外食もせず、旅行もせず、貯めたお金なんだなぁとすぐにわかった。だってその人、中身がなんにもなかったのだ。(中略)ゆたかであるというのは、お金がいくらある、ということではけっしてないのだと、その人を見て知った。

正直、怖いと思った。中身がないというのは、隠せないのだ。

私たちはお金を使うとき、品物といっしょに、何かべつのものも確実に手に入れている、ということだ。大事なのは品物より、そっちのほうかもしれない、とも思う。

この何かは、対象物やその時の自分の状況で変わるんだと思う。そして、この何かが自分のものさしをつくってくれるのだろう。

私はまだまだ優柔不断で、買いものをする時に考え込んでしまうことも多い。

国産と海外食品の価格の違いに恐れ慄き、意を決して国産の方を手に取ってレジに向かうことも日常茶飯事だ。(これは経済力の問題か、、)

もっと修行が必要だなぁ。お金を使うことを楽しみながら、自分のものさしを磨いていきたい。

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