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いろいろ頑張ってる自分を褒めてあげようか。

『自分を褒める』なんて
なかなかできなかったんです。


最近まで。


もっと〇〇じゃなきゃ

あの人に比べたらわたしは…


と、いつも何か、誰かと比べてた。


今はわかる。

人と比べる必要なんてなかったんだってこと。


何をしたって…ムダ。

わたしは、大人になるまでの間に、

いつの間にか、自分で考えることをしなくなっていました。

父の言うことが全てだったから。

わたしが考えて、決めて、〇〇してみたいって伝えても、

「おう、やってみろ。」

じゃなくて

「やめとけ。やったところでどうせこうなるのがオチだ。」

って、大抵の場合は否定されて

父の言うことを聞かないと、すぐ手が上がるの。

ゲンコツなんて当たり前で、
それがどれだけ子どもの心を傷つけているかなんて考えない親だった。

でも、ゲンコツの後は決まって優しかった。

父が亡くなって20年。

もう、あの頃のことを「なんでゲンコツで叩いたの?」って聞くこともできないけれど。

そう言うことが何度も何度も続くと

(どうせまた聞いたところでダメって言われるだろうし…)


って、もう、自分の意思を持つことを諦めるようになっちゃうんだよね。

そうして大人になるまでの間に、


自分で考えて決めることをやめちゃったわたしは、

今、目の前に起こっていることは変えることなんてできない、とあきらめて


自分で動こうとしなくなった。

言い換えるなら
常に受け身。

目の前に来たものが、嫌じゃなければラッキー。

やってみて楽しいと感じることもあったし。


でも、それを続けていると
何かしら嫌なことや不満が出てくるの。

そりゃそうですよね。

そもそも自分がやりたいと思って始めたことじゃないんだもの。


思ってたのと違う。


そんなことが繰り返されて


その嫌な場から抜けるのに、仲間に真摯に向き合わないで
逃げるようにフェードアウトする。

そんなことを繰り返してきました。


だから私には、何かをやり遂げた!という達成感も

人との関係を深めて、長く付き合える人間関係や信頼関係も築けなかった。


常に中途半端で嫌なことから逃げ出してばかりで、


ここまでやり切った!みたいな実感のない人生だった。


そんな私が今、ビジョンに向かって、ミッションを遂行しながら日々を過ごしている。

そのきっかけは…

このまま死んでいくのは嫌だ!

50歳を迎える頃、
それまで19年間過ごしていたアメリカでの暮らしから

日本に帰国して義母との同居生活が始まることになり…。

(いつかはそうなるだろうな…)

と思っていたけれど、

当時、アメリカでやっていた仕事にやりがいを感じていたこともあって

(帰国になったら、わたしのキャリアは…?)とすごく不安になったの。


帰国するところは長野県の中でも、陸の孤島と表現される南信。

50代で仕事探し…?

明るいイメージが持てず。

とは言え、わたしには何もない…。

モヤモヤを抱えることになりました。



こんなわたしのライフミッションストーリーにご興味ある方は、
次回も読んでやってください。

読んでいただきありがとうございます。


心を育む手帳クリエイター
ちかコーチ









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