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バドミントンがメジャー競技になり切れない理由(3)面白くないテレビ解説者たち

今年の1月14日にテレビ中継された女子駅伝の解説が大好評なのだという。

NHK駅伝中継で福士加代子さんの解説が反響「すごーいね」に「居酒屋解説面白すぎる」「漫才の様」小林祐梨子さんと名コンビ

残念ながら中継を見ることはできなかったが、Xではこんなコメントが集まったそうだ。

「福士加代子の居酒屋解説面白すぎる」「緩い解説好き」「こっちまで明るくなるキャラだ」「カチッとしたコメント、小林祐梨子 「ふわっ」としつつ短く鋭い言葉、福士加代子 まるで漫才の様 手綱を握り、的確にキッチリ実況中継するNHKアナ 凄い…」

特に「居酒屋解説」というフレーズには大変共感した。大衆がスポーツ中継の解説に求めていることはまさにこれなのだ。

サッカー解説者として長年にわたり人気の松木安太郎さんは「居酒屋解説」の代表例と言っていいだろう。私はサッカー競技者ではないが、松木安太郎さんが私をサッカー日本代表ファンにしてくれたと思っている。

この方の解説はいつもこんな調子だ。「黙って見てましょう、このシーンは」「ふざけたロスタイムですねー」「なんなんすかコレ〜」「**が四人いるみたいですよ」「**は男気のあるキーパーだから止めますよ!」「こーゆー状況でもサボらない**は偉いですね。我々は解説をサボってしまうんですけど」

松木さんの居酒屋解説は本当に面白い。

一方、バドミントンの解説者たちはどうか。

「視聴者=競技者」を前提とした、コーチ目線、先輩目線のクソ真面目な解説に終始していないだろうか。

スポーツ中継で視聴者の多くが求めていることは競技者向けの技術解説ではない。「すごーい!」という感動の共有なのだ。テレビ中継で技術や戦術の解説だけをまじめにやっているから視聴者は競技者だけになってしまう。結果、大衆人気に刺さらないのだ。


数年前までよくテレビ解説をされていた栂野尾昌一さんや芝スミ子さんの解説は好きだった。居酒屋解説というほどの派手さはなかったが、家でコタツで一緒に視聴しているような、適度なゆるさと面白さがあった。そこには詠嘆というものが存在した。お二人が今、テレビ解説に登場されなくなったことは残念でならない。

そしてもう一つ残念なことがある。文章構成が聞くに堪えないレベルのバドミントン解説者が散見されるようになってきたことだ。解説の内容の問題ではない。話術がド素人なのだ。

一例をあげよう。ある大会の女子ダブルスの試合の解説である。

「ま、そうなってくるとこう**/**ペアは(コートサイドが)飛ぶ方なので、あのぉ、いくら球が速くないとは言え、やっぱりあのー、レシーブにずっと回ってしまうと、ま、**/**ペアはロングレシーブのスタイルなので、上げるのがちょっと怖くなってくるんですよね。」

一文が140字以上に及ぶ。明らかに読点(、)過多だ。このクセは日常会話のレベルの低さや読書量の少なさが原因だ。引退後間もない若い解説者に多い。

修正例としてはこうだろうか。句点(。)を二つ追加してみた。

「そうなってくると**/**ペアは上げるのがちょっと怖くなってきますね。コートサイドは追い風が吹いて飛ぶ方です。いくら相手の球が速くないとは言え、レシーブにずっと回ってしまうとよくないかもしれません。」

そこでさらに不思議な事がある。

隣にいるアナウンサーや番組プロデューサーである。なぜ解説者の読点過多の話し方を指摘しないのだろうか。アナウンサーが読点過多になることはあり得ない。そういう教育を受けているはずだ。なのに解説者の読点過多が気にならないのだろうか。そしてこれらを指摘できない番組プロデューサー(ディレクター?)に関してはまだプロになり切れていない若手がやっているとしか思えない。

私はこの解説者が登場したら音声を消して中継を視聴するという解説者が3人いる。そのうち2人は最近はあまり出てこないようだが、1人は2023年に頻繁に登場した。聴くに堪えない理由はすべて読点過多問題である。

居酒屋解説はその先の課題として、まずは解説者の「話し方教育」をしっかりと行ってもらいたい。バドミントンはまだそんなレベルなのだ。


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