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介護は人を幸せにすることがミッション!愛のヒーロー”山口 晃弘”さん

 働いていた施設で初の人材育成担当を任され、数々の逆風を乗り越えながら現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑施設長として経営のトップを担う介護福祉士 ”山口 晃弘さん”にお話を伺いました。

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)さんプロフィール

介護福祉士、介護支援専門員。
1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)がある。

座右の銘
夢なき時代と嘆く世に、夢を創れる人となれ
利害を超越し誰もやらないこと誰もできないことを夢とし、それに挑戦する

記者:どのような夢、ビジョンをお持ちですか?

山口さん(以下敬省略):介護業界が潤うことが日本が潤うことだと思っています。現在日本は世界一の長寿国となっています。その反面長生きすることが義務みたいになっている感じがします。長生きしてよかったと思うこと、長生きすることで生きた甲斐があったと心から思える社会にしたいと思っています。
 それには現場の介護職で働く人々が介護に必要なスキルをもち、思いやりを持つことが大事だと思っています。
 介護職に対する処遇改善加算は風評被害でもあると思っています。介護は嫌な仕事で誰もやりたくないからお金を上乗せして誰かにやってもらうような制度でもあるように思うからです。そういうもので介護のなり手のすそ野を広げるのではなく、介護はやりがいがあり人を幸せにする仕事である、そのうえで自らのビジョンや意志を持つ人ですそ野を広げていきたい、そういう人材を育成し老人ホームをお年寄りのパラダイスにすることが私の夢です。

記者:それを具現化するためにどんな目標や計画を立てていますか?

山口:介護は福祉ですから。福祉職のミッションは、人を幸せにすることだと思っています。人を幸せにすることがミッション…そんな素敵な仕事はなかなかない。今関心がない人たちが介護っていい仕事だな、やりがいがあって感動が得られる仕事だということをもっと知ってもらいたいと思い、介護の仕事のドラマ化に意識が向いています。昔自分の周りではボクシングを始める人はみんな「あしたのジョー」をみていました。本田 圭佑もサッカーを始めたきっかけは「キャプテン翼」に影響を受けたからだといいます。ドラマや漫画の影響はその人の人生に大きな影響を与えるものだと思います。介護の仕事をドラマ化して、介護の仕事のやりがいをもっとたくさんの人に伝えていきたいです。いつになるかは解りませんが、ドラマ化できたらと思っています。

 それと、経営感覚をもった職員を育てるために千歳敬営塾を開いています。介護の現場で働きながらも経営を学ぶ機会があればいいと思い始めたのですが、あくまでも中心は介護に置いています。人事労務管理や財務諸表の見方なども教えますが、あくまでも福祉です。だから、経営の「経」を敬うの「敬」にもじりました。社会福祉法人の上に立っている人には天下りだったり、他業界の方だったりすることが多いです。福祉の現場をよく知らないことが福祉業界の可能性を狭めていると感じます。上に立つ者は、現場を良く知る人であってほしいし、知る努力をする人であってほしいと思います。

記者:その目標や計画に対して現在どのような活動指針を持ってどのような基本活動をしていますか?

山口:経営感覚をもって現場の職員を育てていかなければいけないと思っています。現在7事業所がありまして、100名の職員がいます。その100名全員の将来を担っていますので100名一人一人と面談をしています。

記者:そもそもその夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがあったのですか?

山口:正義の味方への憧れです。子供のころウルトラマンや仮面ライダーになりたかった。その気持ちの延長線上にあると思います。力の強くない人の味方でありたい。高齢の方たちはここに来るまでにいろんな苦労があったと思うんです。人生の後半に、そういう方たちのこれまでの苦労が報われてほしいです。
 年をとるにつれてだんだん出来ていたことができなくなってくる・・・体も思うように動かなくなってくる・・・下の世話まで他者にしてもらうのは、みじめな気持ちにもなると思うんです。認知症などみんな不安がある中で、今まで苦労してきた分最後は報われてほしいと思うし、全ての人はそう願っていると思います。それには介護に関わる人がそういう気持ちに寄り添う優しさ、思いやりがある人であることが大切だと思います。そういう人を育てたい、そう思い人材育成に力をいれるようになりました。人は必ず死にます。介護の仕事はその方の人生の最後をクリエイトできる素晴らしい仕事だと思っています。

 あとやはり社会経験を積む中で、一個人の力では発信力に限界があり思いが実現しない、どうにもならないことがある、ということが解ったことも大きいです。それに悩みや不満をたくさん抱えている時に「文句があるなら、トップに立って言え!」と言われた一言が衝撃的でした。確かにそうだなと思いました。しかし、ただ人が集まるだけの組織では出来ることは限られます。どういう目的で、どのような仲間とどのようにコミュニケーションを大切にしながら創り上げていくかで組織の可能性は大きく広がる、自分がトップに立つことで出来ることの幅が広がると気が付いたこともきっかけです。

記者:その発見や出会いの背景には何があったのですか?

山口:自分には虐められた経験があります。力が弱いからされてしまうのだと、極真空手を始めました。ケンカに強くなりたくて毎日空手の稽古に通っていました。一生懸命やったので、自分の思い通りにケンカが強くなりました。しかしそこから人生を踏み外し・・・今だから言えますが夜に新宿歌舞伎町に繰り出したりして無茶をしていました。そんなことばかりしていたら当時働いていた会社のパートさんに、喧嘩なんてくだらないことにエネルギーを使うくらいなら、人のためになるようなことをしなさい!と言われました。人のためになるなら福祉だな、と思い応募したら採用枠がなかったにも関わらず、当時柄が悪かっただろう自分を受け入れてくれるところがあり、嬉しくてそこで一生懸命働きました。毎日訳が分からない中で必死だったのを覚えています。そこは18歳~70歳くらいまでの様々な年代の方がいる作業所だったのですが、事故で言語障害と麻痺になった車椅子のハンサムな男の子がいました。その子がいつも自分を兄のように慕ってくれたことがとても嬉しかったのを覚えています。全てがとてもいい経験でした。
 今でも力が弱い人を力づくで何とかしようとすることが大嫌いで、ドラマなどでそういうシーンを見ると吐き気がします。
 生きていくプロセスの中で腕っぷしが強くなると皆が怖がる事も解っています。でももうその頃には体が大きくて力が強いことに頼りたくなかったんです。
 
 「男一匹ガキ大将」という漫画があるんですけれど、主人公の戸川 万吉はケンカで全国制覇するんです、その後ある女の子に出会った。その女の子は証券会社の娘さんで、その子の会社が乗っ取りおばばに乗っ取られるんです。万吉は乗っ取りおばばから会社を取りかえすことを決意するんですが、その時「大人のケンカは頭でするんじゃ」といって株の勉強をして会社を取り返すのです。「大人のケンカは頭でする」この言葉はしびれましたね。

 格闘技が全盛の時代に空手の道場を開く話もあったのですが、その頃は格闘技がブームで周りのみんなは収入もすごくあり生活ぶりは派手でした。それを見た時に何故か自分はもうその方向には行かないと決めたんです。空手の世界である程度の地位になり、自分に誰も何も言わなくなった時に、力とは真逆の世界に行きたいと思ったんです。

記者:日本の読者にメッセージをお願いします。

山口:福祉は人を幸せにすることがミッションであることを知ってほしいです。たとえ今自分が天国にいたとしても、地獄で苦しんでいる人がいると知ったら自ら地獄に降りて行って地獄から人々を助け出すこと。その時に地獄までついていきますと周りの人が言ってくれること。でも理想にはついていけませんと去っていく人もいる、でもついてきてくれる人もいるならついてきてくれる人と苦しい時も一緒に乗り越えていく、そんな仲間をみんなが日本中で創っていけたらいいですね!

ありがとうございました!山口さんのご活躍は以下のHPからご覧になれます。


【編集後記】
 インタビューを担当した岩田、森です。みんなを幸せにしたい、弱きを守るヒーローでありたい想い、人の優しさや思いやりを育みながら日々の活動を通して仲間と共にビジョンを実現していく山口さんの熱い想いが伝わり、こちらまで熱くなりました!ありがとうございました!


この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。



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