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【第8話】建築業界に一歩踏み出すには勇気が必要

21歳になり、高校卒業後のこの3年間は激動だった。高校を末卒で卒業しながらも、就職した先では大卒エリート達とのかけがえのないもの日々があり、そして1年半にしてそのかけがえのない日々はあっという間に倒産という形で終わった。建築から逃げるために夢であったプロミュージシャンになり、その夢の先にある現実に打ちのめされる日々。でもこの経験は自分の人生の基礎となる大事な3年ではあった。

当時を振り返れば"夢もなくなって特にこの先やりたいこともなくなってしまった"状態。心の中では「このままではいけない!なにか新しい一歩を踏み出さなければ!」と焦りを感じていた。

ここが人生の分岐点だ。このまま居酒屋で料理を覚えていく道もあったし、また前職の印刷関係に進む道もあった。だけど、どれもこれも将来にやりたい仕事ではなく、やる気が起こらなかったのでわざわざ就活をする気もない。「この先の人生どうしようか。。。」そんなことばかり考えるだけの日々は憂鬱だった。

やりたい事がなくなった人生に対して憂鬱になったというよりもどちらと言えば"こういう環境に負けて一歩も進めないで停滞している自分自身"に対して憂鬱になったという方が正しい。こういう時、人は骨折したランナーのような状態で一人で立ち上がり何十km先にあるゴールを目指すのはほぼ不可能だ。

例え誰かの手を借りてでも厳しい現実には打ち勝たなくてはならない。むしろ人の手を借りずに人生のゴールは出来ない。

この時ようやく、ふと浮かんだのは「建築の道」だった。職人家系の家に生まれ、一番身近にあったのにも関わらず「建築なんてクソみたいな仕事だ」と一番遠くに追いやっていた仕事だ。

待て。それはありえないだろ。そう思う半面「やはり職人一族の運命には逆らえないのか。。」という気持ちも少しあった。

そんなんで、なんとなく感じている宿命を受け入れたのか、街で道を歩いていればどこかでトンテンカンと鳴っている建築現場の音に誘われて現場の前に佇み、外からじーっと不動にして真顔な面持ちで、現場の職人たちの姿を見ている自分がいた。現場の人間からしたら完全に怪しい子である(笑)

建築に興味を示しはじめた事もそうだけど、現場視察の1番の理由は、"一度親父からの大工への誘いを断った手前、軽はずみな気持ちで自分からはお願い出来ない"という思いからだ。本当にやってみたいと思えるまで現場を眺めて自己暗示をかけてから親父に話そうということを考えていた(笑)

こうして謎の青年が謎に現場をマジマジと眺める光景は日を追う事に激しく続いた。でもどうしても分からない事があった。

それは現場の外仕事は見えても肝心な中仕事が見えない。という事だ。勝手に現場の中に入ろうと思ったが、さすがにそれはマズイと思ったのでやめた。かと言って中で声を掛けようとも思ったが、強面でガタイのいい職人さんが末恐ろしくて声をかける勇気もなかった。

結局建築は具体的に何をしているのかわからず何も掴めず視察は終わった。

ここがこの建設業界の敷居の高いところだ。
建築業界は人手に困り「誰でも出来る最終職」との見方もあるので手を挙げればすぐに就業出来る。むしろウェルカム状態で逆に期待をされてしまうが、どんな仕事のイメージも出来ない。しかも輪をかけて、怖そうな人達が多いし、中途半端な気持ちで入門すればあとあと痛い目をみそうななので飛び込むにはかなりの勇気が必要な業界だ。

1週間じっくり考えに考えた結果。「まずはやってみなければわからないだろう」というところで考えが落ち着いた。

こういう場面の時にはいつも決まって、思い切った勇気が必要だ。「理屈ではなくまずはやってみる!」と心に決め父に「大工の手伝いからやらせてほしい」とお願いをした。

親父はその言葉を待っていたぞ!と言わんばかりに即答で「じゃぁ、3日後に新しい現場が始まるからそこからスタートだ!」と言った。「流石に早くね?」(笑)と思ったが、一歩踏み出す勇気を振り絞り、ついに建築の門を叩いたのだ。

つづく

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