孤独のはなし
私には嫌いな言葉がある。
「仲間」だ。
私が愛してやまない二次元の推しでさえ、「仲間がいたから〜」とか、「支えてくれた存在がいたから〜」などと曰う。
正直、一瞬で冷める。
百年の恋もなんちゃらである。
私は両親から溢れんばかりの愛情を受け、すくすくと育った。
この記事を見たら、両親はきっと悲しむだろう。
私は小中高と不登校だった。
義務教育含め、12年間の学生生活を半分も経験していない。
はじめての登校拒否は、担任教師からの嫌がらせがきっかけだった。
いつも両親は私の味方をしてくれていた。
しかし、私がクラスメイトからいじめを受けた際、私にも悪いところがあると諭した。
それは、決して甘やかさない、逃げ癖をつけてはいけないという両親なりの教育方針だったのだろう。
今考えると、両親の育て方に間違いはないと思う。
家に帰ると鬼のような形相で喧嘩している両親。床には割れた湯呑みとお茶の染み。
そして、頻繁に訪ねてくるやくざと弁護士、探偵。
登校するだけで死ねと言ってくるクラスメイト。
私にはどこにも居場所が無いように感じた。
私が我慢すれば
私が話さないでいれば
私が荒波を立てなければ
皆は平凡に暮らせる。
私が学校に行かなければ、クラスメイトが不快になることはない。
何となく体調が悪いから学校を休むと言えば、両親が心配することもない。
両親、たった一人の夫
どちらにも心を開けないでいる。
それで良かったと思う。
面倒なことを知らなければ、皆が平和に暮らせるんだから。
ただ、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
先述した通り、私は逃げ癖をつけないための教育を受けてきた。
両親も、さぞ心を痛めただろう。
しかし、私は「人生」そのものから逃げようとしている。
生まれてきて良かったと思ったことは一度もない。
「死」という言葉は、呼吸をするたびに煙のようにまとわりついてくる。
結婚なんてしていると、かけがえのない仲間が出来たような気になってしまう。
赤の他人と衣食住を共にし、財布を共有しているのだから。
しかし、私は自身の過去、身体の傷について言及したことは一度もない。
言っても無駄だ。
子供の頃に染み付いた感覚は、簡単に取れそうにない。
今日も、苦しい気持ちと苦い薬を水で一気に飲み下す。
そして「おやすみなさい」の代わりに、「目が覚めませんように」と呟き、床につくのだった。
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