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#015 なんという理不尽な取引を求められているのだろう

2019年3月14日

朝イチからのクライアントへの施術を終えて電車に乗り込み大学病院へ。

病院の入り口で妻と待ち合わせて頭頸部外科へ向かう。今日は入院に関する諸注意事項の確認と、抗がん剤治療に対するインフォームド・コンセントを受ける日だ。癌が発覚してから妻がこの病院に来るのは初めてで、二人で待合室に並んでいるのもなんだか変な感じがする。

名前を呼ばれて治療室へ。二人並んで抗がん剤についての詳細な説明を受ける。
現在の病状の確認と具体的な治療内容について。抗がん剤はシスプラチンという薬を使用して、5日間入院しながら投薬する。入院は3週間ごとに計3回。以前は4回と言われていたのが3回となったり、4日間の入院といわれていたのが5日間になったり、なんだか微妙な変更が多いのが気になるがそんなもんなのだろうか。今まで入院した経験がないからよく分からない。

気になるのは抗がん剤の副作用だ。例に漏れずシスプラチンにも副作用はそれなりにあって、白血球減少、食欲不振、貧血、嘔吐、口内炎、粘膜炎、嚥下困難、味覚障害、血小板減少、皮膚炎、脱毛、腎機能障害、難聴、しびれ、開口障害・・・書いてるうちにゲンナリしてきたのでこの位にしておくが、この中で特に気になるのが二つある。難聴と味覚低下だ。

難聴は全患者のうち2割程度にしか発現しない、比較的可能性の低い副作用らしいのだけど、一度出てしまうと回復はほぼ見込めないとのこと。僕は前職時代に一度突発性難聴になったことがあって、相当に苦しんだ記憶がある。ひょっとしたら一度なったことがあれば再発しやすいかもしれないなんて、因果関係があるわけではないとは思うのだけど、何となく不安になってしまう。

そして味覚低下。こちらも難聴と同様に、抗がん剤の副作用として発生した味覚低下は回復は難しいとのこと。基本的には治療前の味覚に戻ることはほぼないそうだ。

医者も明言を避けるように言葉を若干濁していたから、元に戻らない、というのがどれほどのレベルを指しているのかは分からない。多少味に鈍感になる程度か、あるいは完全に麻痺してしまうのか。長い時間をかければそれなりには回復するのかも知れないし、実際、同じ中咽頭がんを治癒した後に味覚が元に戻ったという人の記事も読んだことがある。

しかし例え味覚が戻るとしても、医者としても安易に約束できないくらいの確率でしかないのだろう。まあ確かに戻ると言われて戻らないよりも、戻らないと言われて戻る方が嘘としては優しい。

例えば脱毛なども抗がん剤治療の副作用として挙げられるが、こちらはあくまでも治療期間中のみに現れるものに過ぎない。見栄えの問題は大きいかもしれないが、あくまでも期間限定だ。治療が終われば元に戻る、それだったらいくらでも我慢することができる。

しかし問題なのはこの難聴や味覚障害のような、一生治らないと宣告される副作用の方だ。病気を治すために自分の持っている能力のひとつを差し出さなくてはいけない。ガンを治すために味覚を失うというのはそういうことだ。なんという理不尽な取引を求められているのだろう。

ガンの告知を受けたときですら動揺することなく冷静に受け入れることができたのに、味覚が低下したまま戻らなくなると聞いた時には正直言ってかなり動揺した。痛みや違和感といった自覚症状が何もない日々が続くうちに、それとなくガンと共存している気にでもなっていたのかもしれない。自分の身体に巣食っている細胞は紛れもなく危険なものであり、それなりの代償を払わなければ取り去ることはできないのだ。そんな現実を一気に目の前に突きつけられた気がした。


好きなものを食べて幸せな気持ちに浸り、口に合わないものを食べて不味いという、そんなの当たり前のことだと思っていた。これから俺はその当たり前だったものを手放さなければいけなくなるのだろうか。そう思うと重苦しい不安がのしかかってくる。

それでも立ち止まるわけにはいかない。前に向かって進んでいかなくてはいけない。

せめて今のうちに美味いもんいっぱい食っておきたいよな、そう思って病院の帰りに以前から気になっていたラーメン屋に立ち寄り、坦々麺を食す。うん、美味い、美味いよ、食べているうちに涙が出てきた。なんで美味いもん食ってこんなに寂しい気持ちになるんだろう。

ガンの告知を受けてから涙を流したのは初めてのような気がする。坦々麺の山椒がちょっと効きすぎていただけだ、そういうことにしておく。


美味しい食べ物とか、子供達へのおみやげとか、少しでもハッピーな気持ちで治療を受ける足しにできれば嬉しいです。