#049 【治療終了後109日経過】年を一つ重ねたことと、体調の回復と。

2019年8月31日

8月も今日で終わり。今日ではないのだけれど、今月後半に誕生日を迎えた。47歳。別に年齢はどうでもいいのだけれど。癌を患っておよそ半年経って、初めての年齢更新だ。

緊急に命に別状があるような性質の癌ではないことは初めから分かっていたことなので、命が永らえてよかった、というような特段の感慨といいうのもないのだけれど、それでも何か一つの山を越えたような気もしている。生きていることの実感、とまでいうのは大袈裟なのかもしれないけれど、なんとなくそんな感じの一区切り、といった感じだ。

これからこうやって誕生日を迎えるたびに、自分が山を越えたようになる気持ちは繰り返して続いていくのだろうか。歳を取るということは死に向かって確実に歩みを進めていることになるはずなのだけど、そのプロセスにある一年ごとの区切りにおいて、あらためて自分の生を実感するというのは何かの皮肉のようにも思えてくる。死に近づけば近づくほど自分の生を実感するわけだ。

まあ元気で健康な時に自分のリアルな生を実感するなんてシチュエーションは確かにあまりないだろうから、人の人生なんてそんなもんかもしれない。人々がその日々の中で自分の生命の充実を実感しながら過ごすことができればもっと世界は輝くのだろうと思うのだけど、でも単に毎日余計に疲れるだけかもしれんな。


体調の戻りもまあまあ順調。調子の良い時と悪い時には波があってなかなか常に良好な状態を保てるというわけでもないのだけれど、それでも単純に日常生活だけであれば問題ないレベルにまで戻せていると思う。

味覚も相変わらずないのだけど、全く受け付けないくらいにひどく感じるような食べ物はここ最近は無くなったし、甘味や旨味などのちょっとずつ繊細な味の違いもわかるようになってきた、ような気がする。

ただそれを美味しいと思えるかどうかはまた別の話だ。単純にセンサーとしての味覚は回復しつつあるのかもしれないけれど、個別に感じとった味の違いを正確に脳内で再構築するバランスというか、そこまでの回復には至っていないように思う。

例えば以前好きだったシュークリームを食べたとして、クリームの甘さとかシナモンの香味だとか、シューの少しだけ感じるほろ苦さとか、そういった味の構成に対してそれぞれの違いはわかるようになってきた。でもそれが重なり合って紡ぎ出しているはずのトータルの美味しさは以前のようには感じられない。それぞれの味を感じることはできても全体での美味しさには結びつかないのだ。

今の段階ではまだ味の違いが分かるようになってきただけで、特に何かを食べて美味しいとまでは感じることはできないようだ。しかし何を食ってもゲロのあとの胃液みたいな苦酸っぱさしか感じなかった頃に比べればなんという進歩だろうか。人の体は決して壊れたまま二度と戻らないというわけではないのだ。希望を感じる。

だから食事も以前ほど苦痛ではなくなってきた。一時期は食事をするのが嫌で嫌でしょうがなかったのだけれど、今ではそれなりに楽しい気持ちで食卓を囲めるようになってきた。

やはり食事という行為はものすごいストレス解消につながるようで、食が進むようになってからは気持ちも随分と前向きになったような気がするし、体の不調も少しずつ治ってきたような気がする。食事が楽しめずにそれ自体がストレスとなっていた頃は八方塞がりのような感じで、それが原因で体に様々な不定愁訴が症状として現れていたようにも思う。

やっぱり家族と笑顔で食事ができるのっていいよね。失ってしまった感覚をどれだけ取り戻せるのか、今の俺には分からないし全く想像もできないのだけれど、それでもきっと回復はしていけるものだと思う。ついつい焦る気持ちもあるのだけれど、ぐっと飲み込んで、一歩ずつ進んでいけたらいいな。

美味しい食べ物とか、子供達へのおみやげとか、少しでもハッピーな気持ちで治療を受ける足しにできれば嬉しいです。