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初心に返った!してもらったことを「する側」になる

最近、うつ病だった頃のことを思い出してばかりいる。

当時のことを思い出すと、今でも「よく生きてたな」って思う。本当に私は運が良かった。たまたまアメリカにいたことも、当時まだ日本ではメジャーじゃなかったカウンセリングを毎週受けられたことも、何より人に恵まれたことも。何か1つでも違ってたら、きっと今こうして生きてない。

その「生かされた」「生き延びた」って言う感覚は私にとってものすっごい強烈なもので、それを体で思い出すたび「これからどう生きるのか」って思えてくる。

今までは「生かされたんだから生きなきゃいけない」って思ってたけど、そんな感覚も卒業した今は、なんかめっちゃ「もし当時の私と同じ状況の人が目の前にいたら、今の私はあの時助けてくれた人たちと同じことができるんだろうか?」って思うんだ。

例えば当時ボロボロだった私にご飯を食べさせてくれた人がいた。シンプルなパンとスープだけ並べて、ただ「食べたいもの食べれるだけ食べな」っていうスタンスでいてくれて、ちょっと離れた場所でニコニコしててくれた。見守られてるって思った。それがすごくありがたかった。

私に「あなたが生きててよかった」って言ってくれた看護師さんもいた。あの人も「死んじゃだめ」とも「生きなきゃいけない」とも言わなかった。「何かあったら連絡して」みたいな社交辞令も言わなかった。ただ「本当によかった」と言ってくれた。

今の私に、それと同じことができるんだろうか。

例えば当時テーブルいっぱいに手の込んだ料理を並べてもらったり、「どんどん食べて!」って言われたりしたら耐えられなかったと思うんだよね。看護師さんの一言もそう、もし「生き延びたんだからこれからはいいことあるわよ!」とか言われてたら、きっと今みたいには思えてない(あくまで当時はね)。

もし今あの時の私と同じような追い詰められ方をして、誰にも本当のことを言えずに一人で病院とカウンセリングに通っている人が目の前に現れたら、私はただ純粋に「あなたが生きてて良かった」と言えるんだろうか。

そう考えると、「いやあ絶対まだ無理だな」と思うわけ(笑)。

だって絶対に当時の自分を投影するだろうし、なんなら「助けてあげたい」「早く元気になってほしい」って思っちゃいそうだし、シンプルなご飯だけ並べて見守るなんてきっとできない。私にだってエゴがある。手の込んだ料理をいっぱい並べてあげたくなって、そうできない自分にコンプレックスを感じちゃうかもしれない。

だけどそれと同時に、あの時の彼らがどんな気持ちで私と接してくれたのか、今ならよく分かるような気もする。

今すぐは無理かもしれないけど、いつか当時の私がしてもらったみたいにただ「あなたが生きてて良かった」って言える自分になりたいなって思ったんだ。

・・・そんなことを漠然と考えて始めてたら、プライベートの紹介で当時の私とそっくりな人と出会った。現実の流れって本当にすごいな。私も彼女に対して、心底「ほんとに生きててくれて良かった」「来てくれてありがとう」って思ったよ。

やっと初心に返ることができた気がする。

私は「何か少しでも違ってたら死んでたな」っていう経験がある人に心から「生きててくれて良かった」って伝えたくて、できれば元気が出たら「これからみんなでどんな生き方しようか?」って語りたくて、ずっと今の自分を目指してきたんだなっていうこと。

もう1度、その出発点を忘れずに歩いてみたいです。

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