いい子ぶるのをやめたら分かったこと
彼、アスペルガー。
私、元うつ病。
最近、いい子ぶるのをやめました(・ω<)テへ
何だかんだ言って、私はずーっといい子ぶっていた。
いい子ぶるのをやめたらスッキリしたけど、早速新しい現実に直面し始めている。
今日はそんなことを書いてみる。
私は今まで、長いこといい子ぶっていたようだ。
つまり、彼のアスペルガーという特性に理解を示そうとし過ぎたと思う。
「いい子でいれば愛される」なんて、一体どこで思い込んでしまったのか。
自分の本当の「欲しい」に向き合おうともせず、彼のアスペルガーの特性だけを理解しようと躍起になった。
「感情が理解できなくても、それは彼の究極の自分軸だから」
「独特の言葉を喋っていても、本当はーーって思ってるの伝わってくるから」
「棒読みで相槌を打ってくれるのは彼の愛情だから」
・・・今思えば、「だから」何なのかという話である(爆)。
確かに諸々の特性は彼のいい所だと今も思うけど、私はそれじゃまーったく満足できない。
それを全面的に認め、あまつさえ文章にして公開するなんてとても勇気の要ることだったけど、公開したらスッキリした。
その記事は昨日公開したばかりだけど、不思議なことにもう既に彼の行動に変化が起きている。
🔽昨日の夜の会話
彼「スーパー一緒に行こう。ご飯も一緒に食べよう」
私「・・・急にどうした」
彼「たまにはと思って」
私「・・・私が喜ぶと思って誘ってくれたの」
彼「いや一緒にご飯食べたかっただけだけど、どっちが嬉しい?」
私「どっちがって、答えベースの話?」
彼「いや行動ベースの話」
・・・。
この最後のね、どっちが嬉しいかの確認と、「ベース」の確認。
私はこれに正直うんざりしているんだ(爆)。
無意識に「ベース」の確認をしちゃう私自身にも、そんな会話の癖を習得しちゃったことにもうんざりしている。
ちょっと前なら、単純に「わーやったー嬉しいー」って喜べたと思うんだけどね。
「疲れたなー」って認めたら、なんか「やったー」って気持ちも湧いてこなくなってしまった。
🔽そして会話は続く
私「別に、どっちでも嬉しいよ(棒読み)」
彼「あ、そうなんだ」
私「・・・相変わらず私たちの会話はこんなんだね」
彼「論理的なのはいいことでしょ」
私「彼くんにとってはね。私には別に」
彼「・・・。」
あーーーもう誰か止めてー!!爆
いい子ぶるのをやめたら、なんかもう突っかかるのがやめられませーん!
今までは彼に遠慮して、彼に通じる言葉と態度を選んで喋って来たけど、今はそんな気力は残っていない。
それでも感情的になったりしていないけど、やや攻撃的かな?とは思う。
でももーこれでいい。
この会話で部屋に篭るなら篭れwww
結論:いい子ぶる期間が長いと、素直に喜べなくなる上に攻撃的になってしまう(仮説)。
みなさんマジで気をつけて!
いい子ぶる時は期間と程度に気をつけて!!
自分の心が本当のところ何を欲しがっているのか分からなくなる前に、思い切って「もうやーめた!」って言うのがいいと思う。
で、こんなやり取りをいくつかして思ったことがある。
人と向き合うということは、自分自身を探すことだ。
パートナーに限らず、人生で少しだけ深い関係を持ってくれる相手というのは、「自分探しのご縁」がある人なのかもしれないね。
きっと人は、本当は「自分」を知りたくて生きてるんだろう。
本当の自分はどんな人なんだろう?
本当の望みは何なんだろう?
それを探し続けることこそが、人生の歩みなのかもしれないね。
それは人との触れ合いの中で見つけていくものだから、やっぱり感謝して生きたいなって思う。
全ての人に対してそう思えるようになったら最強だなって。
いい子ぶってもいい子ぶらなくてもいいし(笑)、伝わっても伝わらなくても、それでいい。
突っかかっても攻撃的になっても、それでもやっぱり「出会ってくれてありがとう」と思いたい。
彼に対しても、
他の人に対しても。
「自分探しのご縁」をいただいた全てのみなさんに。
・・・こんな風に思えるようになったら、今はかなり楽になった。
🔽いい子ぶるのをやめた記事はこちら
「アスペルガーな彼は、近くて遠いパートナー」
https://note.mu/chikatoyama/n/n027e2ad211c9
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