「好きだった」と気づいたら、少し力が湧いてきた
ずっと「こうはなりたくない」と思っていたことを思い切ってやってみたら、今までやってきたことがやっぱり好きだったと気づいた。
もう少し具体的に言うと、ずっと自分に禁止してきた肉体労働の現場に潜入して働いてみたら、英語を教えるのがやっぱり好きだったと気づいた。
私はもうずっと自分の好きなことが分からないで過ごしてきたから、自己探求をしまくってある日ふと気づいたら、長年続けた英語コーチの仕事も「嫌いじゃないけど、本当に好きなことじゃなかった」んだと思った。
でもやっぱり好きだったのかも。。
好きだからこそ今まで8年も続けてきたのだし、その「好き」を自分自身で否定しなくてもいいんだとやっと分かった。
今日はそんな話について書いてみたい。
「井戸を掘る人にはなるな」
今日、ずっとやってみたかった単発の派遣に潜入してきた。
工場での作業、時給1000円。
英語を使えばもっと時給のいい仕事はあるのだけど、私はどうしても英語を使わない単純作業や肉体労働をしてみたかった。
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私は昔から両親に、「井戸を掘る人になるな」と言われて育った。
「井戸はどうやって掘るか分かるか?井戸を設計する人、どこに水があるか調べる人、機械を作る人、スコップを持って地面を掘る人がいるだろう?いいか、スコップで地面を掘る人には絶対になるな。頭脳を使って井戸を作る立場になれ」
ずっとこうやって言い聞かされて育った。
今思えば「井戸を掘る人」だった両親なりの愛情だったと思うが、小さい頃の私には間違った呪いになって刻み込まれてしまった。
井戸を掘ること、つまり「低い時給で肉体労働する」のはダメなことだと思ったし、正直言って偏見があった。
だからこそ私は、今まで必死に英語コーチングのスキルを磨いてきたのだ。
いつでも「頭脳労働」ができるように、間違っても肉体労働をするような人生にならないように。
身体を動かしてお金を稼いでみたかった
最近「英語をトレーニングする」という仕事に心理的にとことん向き合うにつれ、肉体労働や単純作業をしてみたくなった。
英語コーチでお金をいただくのと何が違うのか、自分がどんな風に感じるのか、それを確認してみたくなったのだ。
そんな訳で働かせてもらった工場では、周りはみんな良くも悪くも裏表がない人たちばっかりだった。
上司にタメ口を使い、怒りたい時は怒鳴り、嫌味を言いたい時は嫌味を言いまくり(笑)、愚痴を言い合い、悪口を言い合い、それでも助け合って働いていた。
「気持ちのいい人たちだな」と思った。
正直で、自分を隠すことがなくて、社交辞令もなくて、私が今までいた業界とは大違いだ。
何より朝から身体を動かして働くのは気持ちがいい。お腹も空くし、19時前に帰って来れてお風呂に入って、これがまたすごく気持ちいい。
私は仕事柄ずっと13:00-22:00が定時だったから新鮮だったし、こんなにお風呂が気持ちいいと思えるなら、「井戸を掘る」ことが仕事でも、これはこれでいい人生だと思った。
そして得た気づきの数々
が、しかし分かったことがある。
私は、決定的に肉体労働は向いていないみたいだ。
もっと上手くできる人がたくさんいるし、もっと楽しんでやっている人たちがいる。
私はやっぱり頭脳を使って日々スキルアップしていくのが好きだし、目の前の物理的作業に延々と取り組むよりも、目に見えないスキルで人の助けになるのが好きなのだ。
私はずっと、ちゃんと自分で好きなこと選んでやってきた。
両親に「井戸を掘る人になるな」と言われたからじゃない、自分の力で好きなことを選んできたのだ。
ちゃんと好きだったんだー!
ずっと「好き」とか「楽しい」がよく分からなかったから、どうも「英語は英語で好きだった」という自覚を持てていなかったみたいだ。
だけど今までずっと、ちゃんと好きだった。
そう今さら認識したら、なんだか過去の自分が喜んでいるみたいに感じる。
やっぱり英語よりワクワクするものがこの先待ってる感覚もあるけどね、それはまた別の話で、好きだったって分かっただけで今はいい。
これからも好きな頭脳労働で生きていく!
「井戸を掘る人になるな」と言われたからじゃない。井戸を掘る人の人生も、なかなかいいもんだって分かっている。
でも私は自分の意思で、私にしか掘れない井戸を設計し、誰かに掘らせるのではなく自分が掘るのでもなく得意な人に掘るのを手伝ってもらって(笑)、そしてその水でたくさんの人を潤すのだと決めた。
やっぱね、英語教える仕事は好き。
これが私の井戸の1つになってくれるだろう。
いつも読んでくださりありがとうございます!直近でいただいたサポートは、引っ越し先で使う新しいカーテンと木の食器のために、大切に使わせていただきます(2019年3月末現在)。