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結婚して幸せ?

気がついたら、結婚して二年が経とうとしている。

大学卒業と同時に一緒に住み始め、籍を入れ、結婚式を挙げた。24歳だった。当時は自分でも「結婚早いなあ」と思っていて、どうも体にフィットしないちぐはぐとした服を着ているみたいに、「結婚」という二文字がふわふわ私のまわりを舞っていた。

それから二年。すっかり「結婚」という二文字にも、新しい苗字にも慣れ、彼と夫婦であることにも慣れてきた。ふたりのあいだでも家族内でもバタバタした一年目が過ぎ、二年目からは自分たちのペースもできてきて、より上手に相手に接することができるようになった。結婚してよかった、と思えることが、日が経つほどに増えていった。

とはいえ未だに、それが「結婚」という制度によるものなのか、それとも単に、一緒に住み、家計を共にし、未来を一緒に考えることから来ているのかは、よくわからない。

そもそも結婚すると決めたときも、結婚したいと言うよりは「早く一緒に住みたい」と思ったからで。五年ほども付き合って、そのうち一年はドイツと日本の遠距離で、いいかげん一緒に住みたいと思っていた。

でも。と同時に、「ふたりきり」の関係から一歩踏み出して、もっと広がりのある付き合いをしていきたいなとも思っていた。

そのふたつが実現するのが、結婚すること、籍を入れることだったのだ。

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でも未だに、「結婚したこと」によって社会の(価値観的・数的)マジョリティに加わったことへの居心地の悪さは感じている。うまく言語化はできないのだけれど、思春期にずっと海外で「外国人」というマイノリティのアイデンティティがあった自分にとって、そしてそれゆえの葛藤はあったことによる、マジョリティに自ら加わることへのもやもやした気持ちは、未だに消えない。

たとえ言葉や態度にしなくても、「結婚している」という事実によってまわりにプレッシャーめいたものを与えているかもしれないことが個人的にすごく辛いのだ。ただのエゴだし考え過ぎなんだろうけれど、学生時代、就活すること、就職することへの違和感が強過ぎて、結局就職しなかった自分の、「就職、就活したまわり」から勝手に受けたプレッシャーがあるからこそ、なおさらそう思う。

いやほんと、考え過ぎなのはわかっているんだけれど、それでもこの、小さなもやもやめいた居心地の悪さは消えない。

「結婚して幸せだねえ」と言われることも、「まだ自由でいたいから私はまだ結婚しない」と言われることもあった。言われるたびに、もやもやした気持ちが頭をもたげた。「結婚」という言葉に自分たちの生活がはめ込まれるのも嫌だったし、「結婚したから」まるで自分がこれまでの自分とは変わってしまったかのように扱われるのも嫌だった。そういういろんな固定観念のある「結婚」を、崩したいとすら思った。

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...みたいなことをこの二年くらいちょいちょい思ってきて、書こう書こうと思って二年経ってしまったんだけれど、やっとそんな重い筆を取ってみる。

正解も答えも励ましもないけれど、こうした白黒つけられない「結婚」や「子ども」「子育て」について、このシリーズでゆるりと書いていければと思う。

それでは、また。


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