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書くことと祈り

誰が誰からもらってきたのかあまり定かではない招待券を持って東山魁夷展に行ってきた。期限は数日後であるいつもギリギリに行くのはやめようやめようと思ってるのになかなか直らない。

こういう企画展はいつ行っても混んでるので最近は美術館に行くことがめっきり減ってしまった。案の定混んでいる。でもまあ自由に動けるほどではあるのでまだましか。

青の画家と言われているらしく、青が大好きで最近は青の写真ばかり撮っている私の気に意外にも入った。風景画はあまり好きではないけれど、東山魁夷のそれはどれも静謐で、悲しいとか楽しいとかそういう感情とは離れたところにあるニュートラルのもののように見えて、一方で広い意味でのあたたかさ、に包まれている。愛にも似たなにかに。

それがなんなのか腑に落ちたのは、解説文の「描くとは祈ること」というのを読んだときだった。東山魁夷は驚くべきことに70代だか後年になるまでずっと自分の絵に対して自信を持てなかったらしくて(こんなに有名で評価されているのにもかかわらず)、でも描くことはすなわち祈ること、ということに気づいたときにようやく描く意味を見つけられたそうだ。

私はこの言葉がすごく印象に残って、ふと書くことだって祈りなのかもな、と思った。いや、たぶんかくことだけじゃない。ごはんをつくることも、歌うことも、誰かを生み育てることも、私たちがこの世界でやっているすべてのことはひいては祈りにつながるのではないかと。

ここでいう祈りというのは神様を崇めるとかお願いごとをするとかではなくて、なんていうのかな、自分が今ここでなぜだかはよくわからないけれどでも生かされている、という真実に対しての畏敬の念、みたいなものだと思っている。描くことを通じて、書くことを通じて、日々を通じて、私たちは生かされているという圧倒的なできごとを表現している、祈っている。

祈りは日々に、息づいている。

それでは、また。

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