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壁と卵

インターホンが鳴る。はーいと出る。なんかを確認してくれとインターホンごしには全然聞き取れないので出たらNHKだった。テレビがないので今回もいつものように断るとカーナビありますよね契約してくださいと問答無用で契約書を突きつけられる。そもそもそのときは契約しようにもできなかったので帰ってもらったが、あとあと家族で話し合うとどうもおかしい。カーナビでテレビ見ないし見れないし、NHKのオンデマンドの方で契約している。それでもカーナビがあるからというので有無を言わさず契約を迫ってくる。

そういえば、個人で仕事を始めてからというもの、こういうなんだかよくわからない、もやもやとした怒りや悲しみはよく感じる。規則ですから、こう書いてありますから、法律ですから、義務ですから...純粋な怒りとか悲しみとはちょっと違うんだけどなんかもやもやする...みたいなことを言っていたら弟がぼそっと「虚しさじゃない?」とつぶやいた。

そうだ、これは虚しさだ。

目の前の事務の人に、集金の人に、受付の人に言ったところで「いやあ、そう言われましてもねえ...」と言われる、どうにもならないことへの虚しさ。ああそうだ、この虚しさは、馬鹿でかいシステムに対する無力さから来るんだ。理不尽でどう見ても誰も得しないような現状でも、システムでそうなっているから現場の人も当事者である個人もその場ではどうにも解決に進めないという、虚しさ。無力さ。

村上春樹の壁と卵って、こうしたシステムについて言っていたのかな。

システムを前にして無力さを感じるという虚しさ。やり過ごすのがたぶん一番楽なんだろうけれど、でも一方でもやもやもして。だからできるところから一歩一歩、声を挙げていくしかないのだろう。

同時に自分も、壁に相対する個人なだけじゃなくて、ときに、望む望まないに関わらず、知らず知らずのうちに、システムの一部となってしまっていることを、システムに加担してしまっていることを、忘れずにいること。

それでは、また。


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