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本を読むことについて.1

*友人の万葉ちゃん(@tgtg95)と二人で、人文学について−−小説や本を読むこと、哲学や映画やアートなど、テーマを決めて手紙交換したものを公開していくシリーズです。

マガジンについてはこちら:はじめに−−人文学っておもしろい?


さきちゃんへ

最近、電車の中で、外のベンチで、ベッドで寝転がりながら、暇を見つけては本を読んでいる。
いろんなものに押しつぶされそうになっても、また立ち上がって歩きだせるように読んでいる気がする。つまり、大きく言うと、生き延びるために読んでいる。気がする。

もうちょっと掘り下げてみると、

本を手に取ってページを開くと、文章や絵や写真があって、たまにそのときの感情にフィットするようなものを発見すると嬉しいし、イライラして本どころじゃない、ってときは閉じればすむ話で、私の気まぐれにつきあってくれるのが、その関係性がちょうどいいのかもしれない。
本が、わたしの手の上で「本」でいてくれることに、安心できるのかもしれない。よくわからないけど…。

最近は小説を読むことが多くて、翻訳ものを主に読んでいます。
小説のなかにはブリュッセルのモロッコ人とか、灯台に住む老人と少女とか、原っぱで卓球をする韓国の少年とか、いろんな人がいて、それを知ると自分の懲り固まった意識が解放されるようだし、いまここにいる「私」は、別の「私」でもありえたんじゃないかって考えることで、ふっと心が楽になったりする。解せないあの人のことも、まあ色々抱えていたりするんだろうなしょーがないか、って許せたりする。

あと、なんとなく通り過ぎてしまう日常を、言葉にすることを教えてくれる。たとえば誰かと一緒に食べたご飯がとってもおいしかったとき、それを後から思い返したとき、そこには確かに「おいしかった」以上のなにかがあったな、って自分の中の物語としてそっと保存しておくことができる。

ような気がするな。
まあ、実際は日常に追われすぎて読書どころじゃない日もたくさんあるけど…

そんな感じで、私にとっていま本を読むことはすごくパーソナルなものになっています。

さきちゃんにとって、本とは、読書とは、なんですか?

万葉

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