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自己納得の人生とトイストーリー4

前回の記事で「みんなちがってみんないい」という概念がやっと理解できたことを書きましたが、最近は何度もその考え方に救われている。

やっぱり生きていると他人に対して「この人のこういうところ下らないな、嫌だな、ありえないな…」などと不満に思う瞬間に度々出会う。

例えば、大人になっても全く政治に興味がなく選挙にも行く気のない人(それをやばいと思っていない人)とか、まじで尊敬できないわ~とかイラっとしてしまいそうになるのだけど、おっと、いけない、と思い直して、人それぞれなのだからこれは仕方のないことなのだな、と自分の中で腑に落とす。(なんでそうできるようになったかは前回の記事を参照していただけたらと思います)

その、みんなちがってみんないいの概念から派生して、最近は人生はどれだけ自己納得できるかが重要なのだ、と頻繁に思うようになった。

例えば、私の将来の夢は「家庭を持つこと・悪い人には関わらず真面目な行いをすること・人と助け合って仲良く過ごすこと・健康に気を遣って大きな病気をしないこと・きちんと働いて十分にお金を蓄えること・怠惰にならず毎日を過ごすこと」などとまあ、こんなことを完璧にできたら最高の将来だよね!という感じなのだけど、これって結局自己納得なのだと思う。

他人にとってはこんな人生全く良くないのかもしれないけど、私はこんな人生を過ごせたら、まじで自分が嬉しくて満たされるからこうしたい、という自己納得。
その夢を叶える為(そうなれる確率を上げる為)に、今は本を読んで勉強して教養をつけたり、一生働ける資格をとったり、生活習慣を見直す努力をしたり、人との関わり方を考えたり、しているけれど、これも自分がしたいからやっていること。

自分がこんな風に過ごしていれば、目指す先にある将来に近づける!と思うから、納得してやっている。

やらなければ、目標の将来が遠のいて手に入らないところまで逃げていく。そうしたら、将来お金に困るかもしれないし、結婚できないかもしれないし、頭が悪くなって色々なことを理解できる感性や思考が低くなるかもしれないし、周りに素敵な人がいなくなってしまうかもしれないし、とか、考えて一生その不安が自分につきまとうのが嫌だから、今、努力をする。
私にとってそれが納得できる生き方だからそうしている。

だから、考えてみれば私とは逆の人もいるはずだ。

真面目で平和で健康な将来なんて別に努力してまで得るもんじゃないし、人生なるようにしかならないし、そんなことの為に努力するなんてまじでそんなの嫌だ、と思ったら、私と同じようにやったところでその人の納得できる人生にはならない。
その日暮らしでお金がなくても楽ならそれでいい!と、楽を追求することで納得した人生を送ることができる人もいるはずだ。

本当に人それぞれ。


昨日、トイストーリー4を映画館で観た。

観る前にチェックした映画口コミサイトのレビューがとても低かったので、正直観に行こうか悩んだけれど、観に行ってみたら私としてはこの最近考えてる「自己納得の人生」に関係するような興味深い内容だった。

(※ここから完全にネタバレです。これから見るのを楽しみにしている方は読まないでください)


まず主人公のウッディは前作で、長年一緒に遊んでくれた少年ウッディが大人になったことで、少女ボニーに譲られた。

ボニーは女の子なのでウッディをあまり可愛がらず、クローゼットに置き去りにし、遊んでくれないことが続いていた。ウッディは自分がボニーに直接的に必要とされていないのを理解し、間接的にボニーの力になる為に全力を尽くすことで自分の存在意義を保とうとしていた。

ボニーはフォーキーという幼稚園で作ったおもちゃを心の支えにしていたので、ウッディはそのフォーキー(自らゴミ箱に入りたがる問題児のおもちゃ)をボニーのそばに留めておくことに全力を尽くすようになった。

そんな人生にウッディ自身、完全に納得がいくわけもなく、心の片隅では自分のことを一番大切にしてくれていた前の持ち主、アンディのことを引きずる日々。ウッディは元々、持ち主の為に尽くすという価値観しか知らないでいたので、ボニーに求められていなくてもボニーの為に何かをしてあげたいと全力だった。

そんな中、昔に一緒に暮らしていたおもちゃボーと再会したところ、ボーは持ち主がいなくても逞しく、自分らしく存在意義を見つけて生きていた。

そして、ウッディは最終的に、自分を求めていないボニーの元から離れる選択をして、ボーと一緒に生きる道を選ぶ。というのが今回の4のお話。

これも結局自分がどう生きるのが幸せか、自分が納得できる道を選べということ=自己納得の話だ、と私は思った。

おもちゃにとって持ち主がいるということは安心だ。人間に例えたら、養ってもらえる人がいたり、大きな会社に所属していたりするように。

でも、そこにいて、それがもし周りの人に羨まれるような境遇だとしても、自分が納得できなければ意味がない。

その世界しか知らなければそこで頑張ろうと必死になるかもしれないけど、一歩外に出てみれば、ボーのように、枠にはまらずとも多様な世界で存在意義を見出し、自己納得して幸せに生きている人はいるものだ。人間に例えたら、組織にこだわらずフリーランスで自由に働いていたり、結婚にこだわらず敢えて独身を貫いている人がいたりするように。

大切なのはどこにいたいかではなく、自分がどうありたいか、なのだと思う。

その自己納得の軸がしっかりしていないと、どこにいて、何をしていても納得できない人生を送ることになってしまうのだろう。

やっぱり、人それぞれ、自分の納得できる生き方を見つけることが重要ですね。

私自身もよく考えて、本当に納得のできる生き方を見つけたい!と、とても思ったトイストーリー4でした。

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