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ミラーワールド

こと余すことなく私が見てる世界は、私「が」見てる世界なのだけど
それを忘れてすぐに「他人からどう見えてるのか」という意識に入って行きがち。
「他人からどう見えてるのか」の他人も私自身でしかないから、結局は私が私自身に持っている疑いとか否定なのだけど。

最近、この世界に自分の内側にあるものを表現することに対して「人より上でありたいとか特別でありたいというマウント意識なんじゃないの?」と自分に対して嘲笑する自分がいる。
Twitterに感じたことや意識に降りてきた言葉や感覚を吐き出すことは、私が自分に気づくためにすごく役立ったのだけど、それをするようになってから孤立や孤独を感じることがどんどん増えていってた。

どこかしらで、自分は特別だとか人よりも解っているというマウント意識は実際働いてたんだと思う。だと思うって書きながら、あー‥まだどっかで認めてない自分がいるなと(笑)気づきについてのツイートをすると孤独を感じたり少し謎の罪悪感があったのは、裏には「私はこんなことに気づける能力を持っている」という自慢げな気持ちが隠れてたんだと思う。

同時に、自分と似たような他人への嫌悪感もあった。不思議なもので、同じような内容を発信している人でも私みたいに何か見返りを期待しているタイプと、そうではないタイプとがあって、やっぱり見返りを期待しないで発信している人の言葉は多くの人に受け入れられたり有り難がられているように思う。

違和感や嫌悪感を感じる他人は、私が自分に対して否定して認めてない私自身の鏡。
見返りや期待を持つ自分は確かに見えてるし居るのに、その自分の存在を価値がないものとみなしたり抹消したりしてるから私は発信するたびに孤独になったり世界に存在していないような感覚になってるんだと思う。

最近息子の勧めでゲームのペルソナ4をプレイしてクリアをしたんだけど、このゲームは心理学者ユングの哲学が基盤になっていて、きっとお母さん好きだと思うよって勧めてくれたのがきっかけで、そのゲームの中で自分自身の認めたくない姿、シャドーと向き合って受け入れることで強さを手に入れる的な流れなんだけども。私も主人公たちみたいに自分の否定してしまう弱さを受け入れて、また成長できたら嬉しいな。

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