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三面大黒様とマハーカーラ

1.三面大黒様のこと


三面大黒尊天

当家には曼荼羅御本尊脇侍の桝大黒様の他に三面大黒天様を勧請して自室に祀ってある。これは僕が初めて正社員として働き始めた頃、あるピンチを迎えたことによる。当時、社会のことなど碌に知らなかった僕はどうしていいかわからなかった。

その時、なぜか都内のお寺に祀られている伝空海作の三面大黒様を急にお参りしたくなった。そのことで何か道が開けると感じたのだ。

そして、件の三面大黒様をお参りしてピンチからの脱却を祈った。助けてくださった際はうちでも三面様のお像をお祀りします、と請願を立てながら。

そうしたところ人事異動の話があり、当初配属された部署から違う部署に移ることができた。組織全体がブラックな体質だったため忙しさは変わらなかったが、そこは社内でいちばん人間関係が良いとされる部署で、おかげさまで5年ほどその会社にてお世話になった。当時知り合った人々とは辞めた今でも人間関係が続いている。

これは三面様が助けてくださったに違いない。
そう思ったため、後に信徒として名を連ねることになるお寺のお上人にお願いし、三面大黒様のお像を開眼していただいた。仏壇にはすでに本尊脇侍の大黒様があったことから、自分の念持仏として部屋の高い所に無印良品で売っていた神棚のような形の台を設置してそこにお祀りした。三面様の背中には確か平成28年と書いてあった。実に7年もの長きにわたりお祀りしていたことになる。

2.スピリチュアルグッズの断舎離

今年、思うところがあってそれまで集めたパワーストーンなどのスピリチュアルグッズを断舎離した。その時、三面様にもあまり祈れていないな、と感じたのと、そろそろ仏壇の大黒様だけで良いか、という気になり、三面様のお像を開眼していただいたお寺にお預けしたいと相談した。

お上人は遠寿院の大荒行を参行以上修された方で、お寺もご祈祷寺院としての色彩が強い。だが、ご本尊の三宝尊以外はあまり仏像をお祀りされておらず、脇侍の鬼子母尊神と大黒尊天も普段は幣束の形でご宝前に安置されていた。そのため、僕が仏像をもっと祀りたいというと良い顔をされず、むしろ減らすように促されるような感じだった。

今回もようやくその気になったか、とリアクションがあると勝手に思っていたのだが、なぜかご回答いただけるまで長考された後、ひとまずお寺に持ってくるよう言われた。予想外の反応だった。

3.マハーカーラの仏像

三面大黒(マハーカーラ)

ところで、大黒様という神様は元々インドでシヴァ神の化身とされていたマハーカーラという鬼神だった。皆さまがよく知っている好々爺の福の神などではなく、もはや明王というべき憤怒尊で、こんにち日本でお目にかかるお姿とは似ても似つかない。

シヴァ神が破壊を行う際に変幻するとされ、戦いの神として信仰されたという。仏教に取り入れられた際もお姿はあまり変わらず「摩訶迦羅天」と呼ばれ、中国では歴代王朝の守護神とされた。マハーが「大いなる、偉大な」という意味合いで、カーラとは「暗黒」の意味とされる。これを略したのが「大黒」である。そのため、大黒天が福の神に転じた後も正式名称でお呼びする際は「摩訶迦羅大黒福寿尊天」という。

ただ、日本では名前と形に多少の名残があるだけで、本性ともいうべき憤怒尊のお姿で寺院に祀られることは滅多にない。大黒尊天を鬼子母神と並ぶ守護神として重視する日蓮宗でもお祀りする際は頭巾を被って袋と小槌を携えたよく知られるお姿でお祀りする。マハーカーラ、摩訶迦羅天のお姿を見かけることはなかなか無い。

3.唱題行にて

この記事を書いているのは2023年の大晦日だが、前日の夜に上記の信行寺院にてに唱題行があった。唱題行とは簡単に言ってしまえば日蓮宗における瞑想法で、太鼓の音に合わせてひたすら唱題(お題目)を唱える。それを月一で行っている。

話を三面大黒様に戻すが、この日に家のお像を持って行った。そうしたところ、何と御宝前にマハーカーラの仏像が置かれていた。日蓮宗では大荒行の参行にて大黒天の行を修するため、お上人方が参行入堂される際は念持仏として枡に入った大黒様のお像を持っていく。お上人は上記した通り参行以上を修めておられ、枡大黒もお持ちだ。だが、今回はその大黒様ではなく、マハーカーラのお像が出されていた。

大黒天は大国主神との神仏習合が有名だが、古事記に記された出雲神話で、根の国にて大国主ご自身の祖神である須佐男命の試練を受けた際、ネズミが助けたという話がある。そこから、大国主神と習合した大黒天の眷属はネズミ(子)とされ、年に6回ある「甲子の日」がご縁日とされる。2024年元旦は一粒万倍日と天赦日、そして甲子の日が重なるという大変珍しい大吉日で、お上人はそれを祝ってマハーカーラを元旦の子の刻に開眼されることにしたという。

確かに、日蓮宗では甲子の日に大黒天を供養するのが大変良いとされるため、この珍しい大吉日の甲子に開眼供養を行うというお話は本当だろう。だが、僕はマハーカーラのお姿を見た時、そこに込められた言葉にしえないことばをお上人から受け取った気がした。今でもうまく言葉にできないが、憤怒尊たるマハーカーラから恐怖ではなく大きな安心、優しさを感じたのである。

唱題行では特別に内陣に上げていただき、御本尊の間近で唱題をさせていただくのだが、僕が座ったのはマハーカーラの目の前だった。そこで唱題行を行っている間、(三面大黒様は福神の姿を取りながら実はマハーカーラの力を発揮してずっと守ってくださっていたのだな、そのことを今示してくださっている)と、強い感動を覚えた。

戦いの神だったマハーカーラが日本にわたり優しい福の神へとお姿や役割を変え、その上で福神の姿を保ちつつ内に鎮めた闘神の力を三面大黒天として顕現された。これは過去に深い悲しみや怒りを知った人が、それを知っているからこそ真の優しさを持った徳の人になっていくという人間の成熟のプロセスを表しているように思え、これがまさに大黒様の悟りなのだと感じた。

4.再び、三面大黒様のこと

唱題行が終わった後、お上人から「三面様はどうするの」と、ひと言だけ聞かれた。僕は「やはり今後もお祀りさせていただきます」と答えた。お上人は元々背中で語る方で、多くを仰らない。昨夜も交わした言葉は10にも満たないと思うが、その中で言外のことばをたくさん交わした。三面様は枡大黒様と共にお上人に一旦お預けし、甲子の日の子の刻に湯がけをしていただくことになった。1月1日のお昼前、大黒天祭を行われるとのことで参加を勧めていただいたため、その際に再び引き取って当家にお祀りする。

昨夜は当家にとって、そして僕にとって大黒様はどのような存在なのか気づかされた特別な夜だった。まさに「有り難い」という使い古された特別な言葉が相応しい日だった。今はただただ感謝しかない。


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