推しが有名になることの是非

この文章はすべてアイメッセージによって構成されています。

あたしの推しは、
すごい人たちだから
今よりも多くの人に知られたら
そりゃあたしは嬉しい。
有名だったら
嬉しいかもしれない。

でも、推しが有名になるって
どういうことだろう。
あまりむやみに多くの人に
名前だけ知られている
つまるところ
「知名度が高い」状態を
特に若い世代の多くの人に知られていることを
有名の定義とするならば
あたしの推しは有名じゃないかもしれない。

推しは有名じゃない。
それは悪い事なのだろうか。
有名であることに越したことは
本当にないのだろうか。

あたしはそうは思わない。
今、推しにはたくさんのファンがいる。
間違いない。
ファンじゃない人にはあまり知られていないけど
寧ろ彼らを知っている人は即ち
ディープなファンになっていると感じる。

「名前だけ知っている」
「特定の曲の一部だけ聞いたことがある」
そんな人が増えていくことよりは
彼らの名前を知っているならば
何曲も知っていて
映像も見たことがあって
そんな人の割合が高い方が
あたしは嬉しいと思う。

あたしの推しは知名度は低いかもしれない。
でも刺さる人には刺さっていると思う。
大SNS時代、
「少しだけ知っている」が難しい時代、
単純な知名度を上げることよりも
ディープなファンを掴んで離さない
そんな力があるあたしの推しを
誇りに思っている。