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「行動すること」をやめれない理由

それは、「行動しなくてもいい」理由があそこやここらに散らばっているからかもしれない。




赤さが増したダウンライトだけ付けた部屋で、ラジオからはオードリーの二人の高らかな笑い声が聞こえる。そこで私は真っ白に青く光る画面を見つめてただただキーボードを叩いていた。

年始に作ると決めたサイトづくりの骨組みを組み立てる。デザインなどは買っているものの、細かな調整に僅かな知識から引っ張り出してきたhtmlを入力する。手にじんわりと汗をかいて冷たくなる。そこで、携帯が鳴った。

上海に住む親友からの音声メッセージだった。画面を見ずに再生ボタンをタップする。

「年始にやるってきめて、もうサイト作り動き始めてるの~?はやぁー。あなたの一番好きなところは、そういう行動派なところだよ。なんでもすぐにやってみちゃうでしょう。どうしてそんな行動できるの?」

早くは無いと思うけどなぁ・・なんて生返事をしながらふと、

『確かに私はやってみたいことはすぐにやってみてしまう。それは、心のそこでは行動やそこから得られる経験しか信じてないからだろうなぁ』と思った。

そして、それはなんでだろうと少しの間手を止めて考えてみた。

とりあえずだけど、行きついた答えは、

周りの環境(この恵まれた国日本)には、「わざわざ行動しないでも、幸福でも不幸でもない場所にいることができる理由が多すぎるから」かなぁと思った。

自分も含めて、周りを見ても、話を聞いても、SNSの中にも、

“今の会社にちょっと不満はあるけれど、転職とかで動かないでもやっていける” 

“お金があってもなくても、安くて質のいいあらゆるコンテンツに溢れるこの国で、ぬるっと目をそらし続けて生きていける”

“心配事も不安もある。動かないと解決しないけれど、動かないで楽しいものに目をそらして、流れで生き、時が経つのを待つ”

そういう空気や雰囲気が、まとわりついてくるように思えてならない。

この日本には、どんなに安くても美味しいご飯はある。安くて質のいい世界でもトップクラスのアニメもゲームも、動画もごろごろ転がっている。それらを少しずつ消費し、現実から目をそらそうと思えばいくらでもできる。

一日一日は、あっという間だから。

“幸福でも不幸でもない場所”。そんな中間に、私たちは居続けることができる。

そしてそんな生暖かな場所は心地がいい。

特別幸せではないけれど、不幸ではないので、これから待ってれば何かあって、今より少し幸せになれたりして?なんて、ぬるい希望を持ち続けることができ、それが一層、現状維持の意思として私たちをその場に縛り付ける。

言葉足らずで悪いように書いてしまったけれど、それが悪いわけではない。

私だってただただコンテンツを消費するだけ消費し、そこで癒され、学びを得る日もある。

今が幸福どまんなか!という人もいるだろし、実際何が幸福か不幸かなんて人それぞれだ。

でも、私は「そのときの興味に沿って動いて、経験して、そこから考える」をしばらくやっていないと、

「動かなきゃぁ」と少しむずむずしてくる。

今はまだ、幸せか?と聞かれてもうんと言えないし、不幸か?と聞かれても首を縦に振れない。

そんな状態に気付くとき、ただ、今まで見たことなかったものを少しずつでいいから見てみたくなるのだ。

見て、考えた先に何がまた見えるのか、受け止めてみたいと思ってしまうのだ。


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