でも、いつも思ってる。なかなか面白い人生だって。

「でも」というなとよく言われるけど、

そんな「でも」の使い方なら、良いだろう。

自分の感覚が実際の歳に近づいたことが、ない。いつだっていつの間にか、誕生日は近づいて、次の歳への扉が開く。

今年もそうだった。


休みは、始まるまでが一番幸せというから、明日から3連休を取って、

「明日から幸せが始まる夜」という解放感を自分にプレゼントした。

それは案の定最高で、前日に4時間しか寝てないのになかなか眠気を連れてこない。

帰宅するなりクーラーがガンガンにかかった部屋で、黒い背景に映し出された宇多田ヒカルのライブを見る。彼女が手をあげて、きれいな指先からスカートのすそまで音が滑る。こんなに黒を美しいと思ったことはない。

そうだ、私の20代も宇多田ヒカルばかりが流れていたっけ

travelingが流れ出すころにはぱぁっと足が動いてコンビニのソフトクリームを手に取っていた。柔らかくない、ソフトクリーム。

携帯には、優しくてマメに連絡をかかさない彼からのメッセージがリズミカルに飛び込む間に、日本語と中国語で誕生日おめでとうがたくさんはじけている。みんなすごいと、感謝と尊敬の気持ちが湧く。私は人の誕生日を覚えていられないから、みんな尊敬だ。

中国では、誕生日に長寿を願って長いものを食べる習慣がある。長いものというと大体が麺になるので、誕生日に食べる麺を「長寿麺」という。だからタイムラインは長寿麺でいっぱいだ。食べるのを、忘れないでね、と。優しい世界が一塊になる。

いつの間にか訪れる誕生日に、意味なんてないと思っていたけど・・・


全然上手く生きれる気が、今でもしない。

普通という言葉が異常なほど出てこない人生でもあると思う。

14で中国に行ってから全然日本のことも分からないし、一つの場所には全く定住できない。

家族だって突飛な環境に居すぎて、近くても遠い存在だ。

何年も培ったものでも、一瞬で捨ててしまえるかと思えば、

他のパートナーがいる恋人と1年以上も離れられない。

ばかばかしくて、何にも思わず天井の模様をなぞるだけの日もあれば

もう何も変わらないんじゃないかと火のように泣く日もあって。


それでもこうやって人生の棚卸をする日があって、

そのたびに思う、一筋の風がさぁっと吹くように、

でも、なかなか面白い人生だよね と。

いくら先が見えなくて落ち着かなくても、

思い通りにならなくても、

いくら最初に「でも」という言葉が付こうとも。



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