【1155回】始める前にビビってしまうことへの処方箋。 - Madoka Sawa https://voicy.jp/channel/632/156788#Voicy 大抵の人は「初めて」は怖い

【1155回】始める前にビビってしまうことへの処方箋。 - Madoka Sawa
https://voicy.jp/channel/632/156788
#Voicy  

大抵の人は「初めて」は怖い

いかがお過ごしでしょうか。
澤でございます。
今日は、半日ずっとオンラインで会議をしたり、セミナーをやったりっていうことですね。
ひたすら、何か喋ってた感じだったんですけれども。
そして、2つですね、講演があったんですが、その中でですね。
ちょっと直接的じゃないんだけれども、気づいたことがあったんで、それをお話しようかなと思うんですけれども。
僕はですね、これから何か始めようとか、これから何か新しい取り組みをスタートしようっていう人たちに対して、エールを送るような、そんな話をすること多いんですね。これは具体的に言えば、例えば、今までやったことのないツールを使って、何か業務を改善するというレベルのものから、これから新たにキャリアをスタートさせる学生さんたちに向かって、何か話をするかそういうのもそうですねですので、これから何かを始めるということに対して、不安を持っている人たち、そういう人たちに向けて、お話をする機会がまぁまぁ、多い方じゃないかなと思うんですね。
ですんで、そういう人たちに向けて、話をするときに、どういうポイントで僕は考えてるかってのをちょっと、ご紹介しようかなと思うんですけれども。
初めて何かに取り組むとか、何か新しいことを始めるということに対して、全く恐れを抱かない人っていうのも、中にはいると思うんですけれども、多分、これは少数派なんじゃないかなあと思うんですよね。
何か始めるときっていうのは、もちろんワクワクした気持ちになる人も多いとは思うんですけれども、やっぱり、特にですね、仕事なんかだと、失敗したらどうしよう、うまくいかなかったら、どうしようって思うことが多いんじゃないかと思うんですよね。
特に日本人というのは、ちょっとその傾向が強いっていうふうに僕は思っていて、というのもですね、これグローバル組織の中で働いていて、他の国のですね、事情をいろいろ聞いてみると、日本以外の国っていうのは、事例のあるなしってのをそんなに重視しないっぽいんですね。
これはもう細かくリサーチを取ったわけじゃないんで、何割ぐらいのとか、そういう数字は全然ないんですけれども、あくまでこれは僕の肌感覚ってやつですけどね。
ですので、あてにならないかもしれないんですが、まあそれは置いといて、他の国というのは、事例があるなしじゃなくって、自分たちが何をすれば成功するのかというところに対して、フォーカスをして、ディスカッションすることを好むという傾向があるように思うんですね。
そして、日本の場合だとどっちかっていうと、他に事例はないですかという、そういうキーワードで会話することがものすごく多いと。
というのも、失敗というものに対する恐れがですね。
非常に大きい民族性なんじゃないかなと思います。
これはですね、もういろんな研究が多分なされていると思うんで、僕もそのうち文献なんかで勉強しようかなと思うんですけれども、もしかしたら、農耕民族的なそういう思考なのかもしれないですし、あるいは、封建制度的なですね、上の人に怒られたら、人生おしまいみたいなそういう考え方っていうのが、もうDNAレベルで染み込んでるのかもしれないですし、いずれにせよ、失敗というものが許されないものであるというふうに考えられている節が僕にはあるように感じるんですね。
実際ですね、何かの失敗を犯したということは、やり方に間違いがあったということなんで、それそのものというのは改善しなきゃいけないポイントはあるとは思うんですが、でもですね、失敗を恐れすぎてしまって、何もしないというのは、これ、何も生み出さないわけですよね。
何も起きないと、アインシュタインはですね。
 “Nothing happens until something moves”っていうふうに言ってるんですね。
何かが動くまで何も起きないよっていうふうに言ってるんですけど、そうなんですよね。
そして、自分の人生に何らかの揺らぎというものを与えるためには、自分自身で動いていかなきゃいけないと。
あるいは、自分が動かせるものを自分で動かしていく、そこにフォーカスをするのが、すごく大事なんじゃないかと僕は思うんですね。
そして、その動かすっていうのが、自分が動かしたいものっていう、ものを動かせでいいと思うんですね。
つまり、勝手にですね、他の人に決められて、そして、地獄の底に繋がってるかもしれない道にあんた足出しなさいっていうのは、これは別に全然断っちゃっていいと思うんですけれども、ただもしですね、その一歩目を踏み出せというふうに言われたときに、これ面白そうだなっていうふうに思えるんだったら、他人から言われたことでもやってみればいいし、自分がですね、これやったら、どうなるのかなっていうふうに思って興味を持ったんだったら、やっぱりこれは一歩踏み出しちゃった方がいいと思うんですね。
ですけど、これは時々、voicyでも言ってますが、いきなり、フルスイングと、もう命綱も何にもなしでですね。
その先に何があるのかもわからない状態で飛び込むっていうのはですね。
これは向こう見ずというか命知らずというか、もちろん、そういう勇気を持ってる人、結構嫌いじゃないですけど、
ただ、そうするとですね、リカバリするのが、えらい大変だったりするので、そのときに後悔しちゃう可能性がある人は、ぜひ命綱をつけといた方がいいかなって思うんですよね。
ですので、そのときっていうのは正直ですね。
命綱なしで飛び込んで成功した人たちに比べると、いまいち、成功したときの喜びだったりとか、ドヤ顔の仕方とかいうのが、ちょっと見劣りするのは、これしゃあないですね。
やっぱり向こう見ずにバーッと飛び込んでいって、それで負けて、何か成功を成しえるとですね。
全部、俺がやったんだぜ、最初からリスクを恐れずにやったんだぜっていうことでおーぉ、お見事っていうふうにして称されるとは思うんですが、どうしてもですね、命綱をつけた状態でやると、excuse、要するにうまくいかないかもしれないっていう若干の予防腰感が出ちゃうので、かっこよさという意味で言うと、ちょっとですね、見劣りは確かするわけですね。
何か失敗するかもしんないから、ちょっと安全策でこう方向でやっていたんだよねっていうのは、要するに何か成功したときに、もう全部俺がやったんだぜって言って、いやいやあんた命綱作ってたやんって何々さんに、後はよろしくねって言えるような、そういう体制作ってたよとか、何々さん助けを求めてたじゃんとかって、いろいろ言われちゃうんですけど。
だけど、チャレンジしたことには変わらないわけですよね。
ですんで、フルスイングした人と比べて見劣りをするから、だから、命綱をつけた状態でやるのは格好悪いじゃったらいっそのこと何もしないでいようってのは、これが一番ですね。
もったいないと思うんですね。
もし、その状態で止めたと思って、後悔しないんだったらいいんですけど、結局ですね、同じように命綱をつけた状態でも、何かをやって成功した人を見たときにですね。
多分、絶対羨ましくなる人っていると思うんですね。
自分もやっぱりやってよかったなっていうふうに思っちゃう人もいるんじゃないかと思うので、僕はこういった判断をするときの一つの線の引き方っていうのは、後悔をするかどうか、もうこれに尽きるんですね。
後悔をしないというふうに言い切れるんだったら、もうこれはですね、やるにせよ、やらないにせよ、自分で判断すればいいんですけれども、後悔するかもしれないな、とくにですね、何かをしないという判断をしたときにやっときゃよかったっていうふうに後悔するかもしれないんだったら、ちょっとやる、端っこかじるぐらいやるというのでも、全然いいんじゃないかと思うんですね。
いわゆるお試しというやつですけれども、それをやってみればいいんじゃないかというふうに思います。
そして、恥かいたりとか、嫌な思いするかもしれないんですけど、その時にはですね、慰めてもらえる、そういう相手を見つけておいて、こういうことが起きたんなら、慰めてっていうふうに言って、慰めてもらうというようにすればいいかなと思います。
今日の講演の中でもちょっと言ったんですけれども、何か失敗、ぶっこいたときに慰めてくれる人というのを周りに置いておきましょう。
そして、そういう人はどうやって、見つければいいかというと、正確にはこれ見つけるんじゃなくて作るんですね。どうやって作るかっていうと、失敗ぶっこいて、落ち込んでる人を先に慰めておけばいいわけですね。
そうすると、こないだ慰めたんだから、慰めてというふうにお願いしやすくなるんじゃないかと思います。
ですのでやっぱりこれもですね、まずは、自分から動いてみると、他者を助けるというよりも、他者を慰めるっていうぐらいだったら、そんなにハードルは高くないと思うんですよね。
その時には別に正しい答えを相手に提供するとか、正しいやり方を教えるなんて、そこまで頑張る必要は全然なくって、よくやったね、チャレンジしたね、頑張ったね、次にうまくいくといいねってもうこれだけでいいと思うんですよね。
ですんで、そんなにもう一生懸命ですね、具体的なソリューションまで考える必要は全然なくって、あくまでも、本当に頑張ったね、よくやったねって褒めてあげるぐらいでも、全然いいんじゃないかというふうに思います。
これ正直ですね、こういうことは、何歳になっても嬉しいもんだと思うんですよね。
特に大人になると、あまり褒められないですからね。
さらに慰めてももらえないんじゃないかと思うので、何か落ち込んでる人がいたら、慰めるというのはですね。
やってみると、いざ自分がちょっと一歩踏み出そうかな、そして、失敗しちゃったなっていうときに慰めてもらいやすくなるんじゃないかと思います。

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