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ワーママはるラジオ ワーママはる #408 偉そうにと言われるのが怖い

ワーママはるラジオ
ワーママはる
#408 偉そうにと言われるのが怖い
https://voicy.jp/channel/862/85110

始めの挨拶

ようこそワーママラジオへ
この番組ワーキングマザー達がワーママサバイバルをどう賢く強かに楽しく生き抜いていくのかそんなテーマでお届けしております
はい皆様いかがお過ごしでしょうか
今日はですね
自分は怖いとか不安に思っていることについてちょっと話をしてみようかなと思います
この内容はですね
一般的に怖いと言われていること
というよりも
むしろ自分がですね
小さな頃から育ってきた環境の中で
気がつけばこういうことが怖いんだな私は
と思っていること
というものになります
なのでちょっとですね
人によって怖いの種類が違う
怖いと特定されるものが
違ったりする話になりますので
ちょっと聞くとぼんやりしてるんですが
よろしければ
最後までお付き合いください
あなたは小さな頃から
親や周りの人から
何かの声かけによって
あっこのこと
私は怖いと思ってるんだなと
思うことがある方はですね
もしかしたら対処法を含めて
参考になるかもしれません

この放送は余裕がなくても笑顔でいたいママを応援するサプリ友達のスポンサーでお届けしております

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偉そうにと無言が怖い話

はいではですね
今日は恐れについて
お話してみようかなと思います
皆さん怖いことありますか
私ですね何が怖いのかなっていうのを
色々考えていくと
まぁ自分が理解できないものは怖いですよね
後は身の危険を感じるようなことは
怖いなぁと思います
ただ潜在意識
昨日もちょっと触れましたが
プライミング効果で触れましたが
潜在意識の中に染み込んでる怖さみたいなものは人によって違うんじゃないかなと思います
要は親から掛けられてきた言葉だったり
過去の小さい頃の経験だったり
というものは
普段は表に出て来ないんですけども
何かトリガーですね
キッカケがあった時には
表に見えて来たりすると思います
私がですね
今ちょっとふと思い出した怖いことで
潜在的に染み込んでるなと思うことは
インポスター症候群ではないですけども
私は張りぼて何じゃないかと
思うことが時々あります
どういうことかというと
私はですね
小さい頃からあまりこう勉強とか
そういったこと頑張らなくていいという風に言われた家庭で育ってきました
そんな家庭にいるにもかかわらず
本を読むのが好きなので
割と色々知識を持った子供に育っていきます
となるとですね
口が達者なんですよねはい
いろんなことを知ってるので
お母さんそれなんか論理的に考えると
おかしくないみたいなことですね
まぁませた子供だったので
小学校高学年位から言うようになっていましたすると私は母がよく言っていたんですが
なんかこう「偉そうに」言われるんですね
その言葉がですね
すごく頭の中にも心の中にも染み込んでいて
自分が発言をする時にこう偉そうに
人に思わせてしまうんじゃないかというのを
すごくであの気にしています
で今でもですね
あの偉そうに色んなこと言っていますが
出来るだけマイルドに言うようにしている
多くの人をですね
傷つけないように
そして自分のことですね
誇って言わないようにというのは
潜在意識の中り染み込んでいます
ただついついですね
人の知らないこととか
そして自分が知っていることを
話してしまったりすると
受け手側によっては
偉そうに指摘されたという風に感じる方もいらっしゃったりします
そういうことがあるとですね
そしてそう方にあったりすると
すごく私は恐怖を感じるんですよね
あの時の母親の言葉で
偉そうにしやがってみたいじゃないですけど
あの偉そうにしてるということは
悪いことだという風に私の中に沁み込んでいるのであの言葉に関してですね
気をつけるようにしています
じゃあ逆にですね
偉そうな人を見て
私は不愉快に感じるかというと
それは全然ありません
あぁ偉そうなんだなと思うだけになります
私が不愉快に感じとか不安に感じるのはですね黙ってる人なんですよね
どういうことかというと
うちの父親ですね
ほとんど喋りませんでした
あんまりですね
言葉に表すタイプ人間ではありませんでした
ですので母と父の会話を見ていても
母9割父1割まぁ相槌返事要望のみ
みたいな感じの家庭だったので
黙っているとですね
なんか相手の機嫌をうかがったりとか
黙ってる方の心情すごい推しはかろうと
私はしてしまいます
なぜかというと父は黙っていてもですね
母はいろんなことしてるの見ていたので
気づかない私が悪い
気が利かない私が悪い
という風にですね
あの思ってしまうんですね
私がこれ誰からも言われてる訳じゃないです
自分勝手にそう思うという話です
なので私にとって
すごいストレスになるのは
ずっと黙ってる相手と一緒にいると
すごいストレスなんですよね
何かこちらが機嫌を察したりとか
開いて欲しいものさせて
差し出さなければいけないような気持ちになってしまいます
皆様もですね
こういう感覚とか
うまく言葉には出来ないけども
自分の中で深く根付いているなと思う
こういったに不安に感じたり
怖いと思ったりすることって
あるんじゃないでしょうか
これは概ねですね
多分両親からも生育環境で受けている影響の一つかなという風に思っています
実際ですね
私職場でもですし
あと今の友人関係とか
人間関係とか
関わらせてもらう人たちの中でも
あの偉そうにしやがってと
思われてるんじゃないかというのが
すごい気になりますし
相手が黙ってるとですね
あぁ私は相手の欲しいものを差し出せてないんじゃないかとすごい不安になります
なので別に喋りたくもないことで
沈黙が怖くなってしまって
ついつい喋ってしまうんですよね
でっそうするとですね
また偉そうにと思われるんじゃないかと
いうこの自己矛盾の中で
不安を消そうとしている部分がありまして
こういうのってなかなか治らないなと
39になって思っています
たださ39年生きてきましたので
最近気が付いた時というかですね
心がけてることは
この偉そうに言われることに
不安を感じるという
自分を認めてやることも大事だし
あと相手が沈黙であると
何か喋らなければいけない
何か相手を不安に思ってるんじゃないか
という風にすぐ結びつけてしまう考え方を
ちょっと緩めてやる必要があるなという風に思っています
これは多分20代の頃は
うまく私は言語化出来てなかったので
出来ていなかった部分の1つになるんですが
歳をとるとですね
やっぱり経験値が増えていくので
こういったことにうまく対応してやる
もしくはそれをですね
無くそうとするのではなく
自分の個性の1つとして受け止めてやるというのは大事だなと思っています
どうやって裏を返すかなんですけども
偉そうに言われるんじゃないか
まぁ思われてるんじゃないかという不安はですね
逆に偉そうにと思われないような喋り方を
気をつけようとか
実際偉そうにならないように
もっと知識をつけようとか
そういう原動力にもなるんですね
そういった方向に
うまくこの力を使っていけば
いいんじゃないかなと思っています
また相手がですね
沈黙であることは
すごく不安に感じてしまったら
こちらは何か喋らなければいけない
察してやらなきゃいけないという風には
思ってしまうんですが
それはですね
気遣いが出来るという風に
変えていけばいいんじゃないかなと思います
私あの手前味噌変な言い方ですが
あの人が良く気が利くねという風に
言って頂くことが多いです
でも私はですね
そんなつもりなんじゃないんです
なんとか相手を見ていて
こういうことして欲しいんだなと思って
サッと水を出したりとか
空いてるグラスを変えたりとか
当たり前なんですけども
あとお話の中でも
こういう雰囲気になってるんだなと思っただけ話題を変えたりとかですね
そういこと気をつけています
でもこれ別にあの意識してやってるのではなく
無意識下でやってるんですが
気が利くねという
評価をいただくことがあります
そう考えればですね
相手が無言であることは
不安だ不安だと思い続けると
自分も喋らなければとか
こうしなければという
何々しなければという発想になるんですが
発想の転換で
やっぱりこれ気が利くという方向に持って行ってるのは
悪いことではないんだなという風に捉えるようにしてます
物事を1方向から見て
かつそれが自分の欠点だ
駄目なところだと思ってしまうと
そのことばかりですね
気になってしまうんですが
角度をちょっと変えてみる
このことによってですね
自分が駄目だと思ってること
そして自分が怖いと思ってこと
不安に感じていることを
少し和らげるではないですが
違う形で使うことが
出来るんじゃないかなと
あの今日考えましたので
お話をさせて頂きました
皆さんもうまく言葉には出来ないけども
小さな頃から
多分色んな経験を積み重ねてきて
あっこれが判断軸になって
怖いとか不安に感じる感情とか出来事とか場面ってあると思います
それをですね
よろしかったら一度
ふと思い出す時がありましたら
分解してみて
違う角度からちょっと見てみると
何か人生においては
活きやすいヒントになるかもしれません

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