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日本文化の中華圏進出事例を野次馬的に眺めるノート

こんにちは、Gaoqiao(ガオチャオ)です。
中野新橋の東京コンテンツインキュベーションセンターと中国の厦門市という海の綺麗な都市に滞在しながら現地企業と協業でスマートフォン向けのゲームを開発しています。

2010年夏、東京の大学院で勉強していた私は大学院の友達に誘われて男ばかり5人で一緒に初めて中国へ行きました。2週間で上海、蘇州、杭州、広州、深圳、香港、マカオを回って上海から帰ってくるというハードな行程です。

その年は上海万博が開催されていて私たちも上海万博へ立ち寄りました。

ものすごい規模のパビリオンに圧倒されながら一日中回った最後の方に、日本企業が共同で運営する日本産業館というパビリオンに立ち寄った時のことです。

日本ではよく遊園地などにある全周囲型の映像に退屈感を覚えながら周囲を見回していると1組の親子の姿が見えました。

お父さんは30代後半くらい、息子は7歳くらいでしょうか。

お父さんは息子の後ろから両肩に手を置いて何かを語りかけながら周りの映像に夢中になっていました。

息子も一緒に目をキラキラと輝かせながら周囲を見回しています。

私はその親子の素直な反応に感動して涙を流していました。




6年後の2016年10月、私は上海中心部から電車で1時間の田舎、昆山で行われたゲームショウで途方にくれていました。

大学院修了後それまで働いていたゲーム会社をやめて2015年6月に自分の会社を立ち上げた私は、中国のゲームショウでブースを出せることを何日も前から楽しみにしていました。

しかし、そこにあるはずのブースはなくイベントの看板は聖闘士星矢とアナ雪の夢のコラボ、ホールに出ている他の会社のブースもゲーム要素はほぼなく空いたスペースでは子供達がドミノ倒しをしていました。

そこでたまたま来ていた大学の先輩のOさんに訳してもらいながらブースがないことを伝えると1時間後にはブースができていました。

このイベントでブースを出している日本企業は弊社と某有名エンタメ会社の二社しかありませんでした。B2Bの交流会の方は盛り上がっていたのでそれなりに実りのあるものでもありました。

「日本から来たのにブースないなんてありえないっすよ」

「中国だからねー」

中国語が堪能で長年プレイステーション2の中国展開をしていたOさんは慣れた感じで言います。




そして今、私は福建省厦門と東京で中国人の妻と暮らしながらゲームを作って生活しています。

正直この一年は三年くらいに感じるほど様々なことがありましたがそれはフェイスブックに書くとします。気付いたら中国語で商談をしていました。とても下手なので2回目のミーティングではだいたい通訳をつけてくれます。一方日本語と英語は忘れ始めています…

このノートは日本でゲーム業界にいる友人に勧められて書くことにしました。

今までは中華圏やアジアで見かけた日本製品をフェイスブックにネタ的に書いてきたのですが反響が大きくなってきまして、それがきっかけで仕事の相談をいただくことも増えてきました。

中国に「肩まで浸かる」と見えることがあります。例えば中国はハイテクだとか格差が大きいとかいろいろ言われています。よく読むとまともな発信者は地域限定に言及しているのですが、受け止める側は同じ「中国のこと」だと一緒くたに考えていると思います。

ご存知の通り深圳はハイテクで上海は格差が大きいです。

私がいる厦門都市圏はそれらの経済特区などの地域と比較すると賃金が安いのもあって落ち着いた地域です。地価は上がっていますが周辺地域からのバス網があって田舎からの通勤も可能です。開発が遅れているということもあり未来はどうなるかわからないですが住民は概ね楽観的に暮らしています。

さらに田舎に行くと何の仕事をしているかわからないような人がたくさんいます。話を聞くと仕事をしていないなんてことも普通です。田舎は生活費が極端に安いので数字上は貧困なようでも生活は充実していることも多いです。

そして老若男女全てがスマホを持っています。

私は上海、深圳、厦門などの中国本土だけではなく香港、マカオ、台湾の台北、台中、金門島、海外で華人が多く住むサンフランシスコ、バンコク、クアラルンプール、シンガポールなど様々な都市を見てきました。新しい地域に行った時には必ずその国の歴史の本を読み、歴史博物館へいくことにしています。

歴史博物館に行くと地域毎の発達段階を知ることもできます。同じ中華圏と言っても地域文化に日本文化を取り込んでいるところもあれば、製品に貼ってある日本語ラベルを見て製品の質を判断しているだけというところもあります。これらは歴史と密接に関わるものです。このノートでは地域に限定した事例はできるだけ地域を明記します。

東アジア社会において日本人が忘れてはいけないものが歴史です。中華圏において日本製品が溢れているということは歴史が大きく関係しています。日本は中国から漢字などの文化的な影響を受けており、中国もまた日本の影響を受けています。戦後、日本企業は中華圏進出を進めるために様々な平和で友好的な努力をしてきました。その努力の上に我々がいるということを認識しないと日本企業の中華圏進出事例を分析することは不可能です。このノートでいわゆる歴史認識問題に触れることはありません。

最後にこのノートのコンセプト「日本文化の中華圏進出事例を野次馬的に眺めるノート」ということの狙いを書きたいと思います。

私は東京生まれ東京育ちの日本人です。日本文化や日本企業についてはある程度理解しているつもりですが、中国・中華圏企業や日本企業・製品の中華圏展開についてはズブの素人です。そのため、それらの企業を単純にニュースサイトや文献を漁って分析しても中国人や中国留学経験者や中華圏での生活の長い方に比べたら薄いものになることが容易に想像できます。

そのため私は日本文化や日本製品というレンズを通して中華圏市場を分析します。日本人に理解しやすい日本文化というレンズを使うことは読者にとっても理解しやすいものになるはずです。

また、私はブログを書いたこともないので至らないところが多くなると思います。記事を書いた後に加筆修正、他の人の意見を取り入れるなど柔軟に記事を書き換えていこうと思っていますので、くれぐれもこのノートを元に投資をしてなんだよ儲からなかったじゃねえかよ訴えてやる、みたいなことはやらないでください。皆さんと一緒に楽しく、日本文化の中華圏進出事例を野次馬的に眺めることができれば幸いです。

中学時代からソフト開発販売、路上ライブ情報配信、地域情報動画配信で起業。2年のMBA生活+7年弱のサラリーマン生活を経てゲーム会社グラティーク創業。代表取締役将軍。中国でのゲーム開発をきっかけに月の半分厦門で生活しています。