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6歳の書いた詩「ぼくだけほっとかれたんや」を、30年ぶりに読んで泣いた。

私がいちばんはじめに、文章を書くことに興味をもったのは、小学校1年生。「せんせいあのね」ではじまる、先生に向けた文章を、毎日のように書かされていたからでした。

そのときちょうど、「せんせいあのね」というタイトルで小学生の詩を集めた本があって、母が寝る間際にそれを読んでくれました。その中で、今でも忘れられない詩があります。

母は読んで、泣いていました。

私も衝撃的で、こわくて、30年経った今でも忘れられないのです。ある小学校1年生、6歳の子が書いた詩です。まずは読んでみてください。

ーー

ぼくだけほっとかれたんや
あおやま たかし

がっこうからうちへかえったら
だれもおれへんねん
あたらしいおとうちゃんも
ぼくのおかあちゃんもにいちゃんも
それにあかちゃんも
みんなでていってしもうたんや
あかちゃんのおしめやら
おかあちゃんのふくやら
うちのにもつがなんにもあれへん
ぼくだけほってひっこししてしもうたんや
ぼくだけほっとかれたんや

ばんにおばあちゃんがかえってきた
おじいちゃんもかえってきた
おかあちゃんが「たかしだけおいとく」
とおばあちゃんにいうてでていったんやって
おかあちゃんがふくしからでたおかね
みんなもっていってしもうた
そやからぼくのきゅうしょくのおかね
はらわれんいうて
おばあちゃんないとった
おじいちゃんもおこっとった

あたらしいおとうちゃん
ぼくきらいやねん
いっこもかわいがってくれへん
おにいちゃんだけケンタッキーへ
つれていってフライドチキンたべさせるねん
ぼく つれていってくれへん
ぼく あかちゃんようあそんだったんやで
だっこもした
おんぶもしたったんや ぼくのかおみたら
じっきにわらうねんで
よみせでこうたカウンタックのおもちゃ
みせたらくれいうねん
てにもたしたらくちにいれるねん
あかんいうてとりあげたら
わあーんいうてなくねんで

きのうな
ひるごはんのひゃくえんもうたやつもって
こうべデパートへあるいていったんや
パンかわんと
こうてつジーグのもけいこうてん
おなかすいたけどな
こんどあかちゃんかえってきたら
おもちゃもたしたんねん
てにもってあるかしたろかとおもとんねん
はよかえってけえへんかな
かえってきたらええのにな

ーー

たかしくんが学校から帰ったら、お母さんも「あたらしいおとうちゃん」も、お兄ちゃんもみんな、たかしくんだけ置いて引っ越してしまった。

夜にやっと、おばあちゃんとおじいちゃんが帰ってきた。お母さんが福祉施設からもらったお金を全部持っていってしまったから、学校の給食のお金は払うことができない。おばあちゃんは泣いてる。おじいちゃんは、怒ってる。

「あたらしいおとうちゃん」は、たかしくんより、お兄さんのほうをかわいがる。赤ちゃんを抱っこして、おんぶして、一緒に遊んであげてるのに。ケンタッキーは、お兄ちゃんしか連れていってくれない。

夜店で買っただいじなおもちゃを、赤ちゃんに渡すと、口にいれて舐めてしまう。だめと言うと、わーんといって泣く。

きのう、お昼ご飯を買うように渡された100円をもって、デパートで「こうてつジークのもけい」を買った。おなかペコペコだったけど、パンは買わなかった。

赤ちゃんが帰ってきたら、持たせてあげよう。手に持って歩かせてあげよう。はやく帰ってこないかな。はやく帰ってきたらいいのにな。

・・・

大人になってから読むと、胸が詰まります。

30年ぶりに読むのに、「ケンタッキー」や「こうてつジーク」など、ところどころ言葉が頭の片隅にひっかかっていて。なんの解決にもならないだろうけど、私が当時のたかしくんに会いにいって、ケンタッキーをお腹いっぱい食べさせてやりたい気持ちになります。

もしかしてこの詩は私の記憶違いで、まぼろしだったのではないかと、「ぼくだけほっとかれたんや」という文字でGoogle検索をしてみました。すると、一字一句間違わないタイトルで、書籍の名前がヒットしました。

そしてこの詩が掲載された2冊の本をとりよせて読んでみました。すると、子どもの頃にはわからなかった事実を、知ることになったのです。

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たかしくんの本当のお父さんが服役中に、お母さんは別の男性と同居を開始します。それが文中の「あたらしいおとうちゃん」です。その「あたらしいおとうちゃん」との間に、赤ちゃんがいて、その子を面倒見るように言われていたのだそうです。

公園でもいつも赤ちゃんと一緒にいるから、たかしくんは同級生から馬鹿にされます。それでも赤ちゃんがいじめられると、いじめ返し、保護者から問題にされてしまうのでした。

たかしくんは、この本の著者である、小学校教諭の鹿島和夫先生のクラスの子でした。幼稚園時代からたかしくんは悪名高くて、寄ってくるとくさいし、いつも着たきりすずめみたいな格好で、暴力もふるうし、まさに手に負えない小学校1年生。

しかしそんな”問題児”たかしくんの人間像が、まるごとひっくり返る事件があったといいます。それが、ビーチサンダル事件です。

小学校1年生の6月。川原へ、はじめての遠足に行くことになりました。
みんながぴかぴかのリュックを背負うなか、たかしくんは、おばあちゃんからのお古の灰色の袋を持っていたといいます。しかし電車ではその袋の中から、たかしくんは真新しい青いビーチサンダルを出して、匂いをくんくんと嗅いでいたそう。

「おかあちゃん、こうてくれた」

たかしくんは繰り返し、先生にうれしそうに言ったといいます。どうやらお母さんに直接、ものを買ってもらったのは初めてのことだったとか。

みんなはお母さんの愛情たっぷりの、色とりどりのお弁当を持ってきています。みんなが嬉々としてお弁当を広げる中、たかしくんは下を向いて座ったまま、お弁当の袋をなかなか開けようとしません。

「つくってくれへんねん、おかあちゃん」

そう何度もいって、ぶすっとしています。

たかしくんが持っていたのは、お金をもらって自分で自動販売機で買ったパックのおにぎりでした。
やっとポリエチレンの容器を開けると、そこにはバサバサのお米のおにぎりがふたつと、くすんだ色のたくわんが出てきたそう。機械で固めただけのおにぎりは、箸をつっつくと、パラパラと崩れてしまいます。いつもは給食の時間だけが楽しみなたかしくん。この日は怒りをぶつけるように、お箸でご飯をつっつき、ひとくちも口にしようとはしませんでした。

それを見かねて「先生のお弁当と、とりかえっこしようや」と提案します。先生は自分のお弁当箱から、エビフライ、ソーセージ、たまごやき、おにぎりを入れてやったそう。

最初はなかなか食べようとしなかったけれど、「先生たくわん好きやねん、ちょうだい」と先生がもらいます。するとしぶしぶおにぎりを口に入れ、飲みこむようにして食べきります。ようやく笑顔を取り戻したのだそうです。

昼食後は、川で遊びにいきます。しかしそこで事件が発生!なんと、お友達のルミちゃんのピンクのサンダルが流されてしまったんです。川は濁流で危ないからと、諦めることをうながす先生。しかしそこで大きな声がします。

「とったるわ!」

それはなんと、たかしくんの声でした。
先生の「やめとけ!」という声を聞くまもなく、たかしくんはジャボジャボと危険な川の中へ入っていきます。服は全身水びたし。たかしくんは一番身体が大きい子だったけれど、それでも胸の高さまで水は迫っていました。
そして対岸へ着き、ピンクのサンダルをかかげて「とった!」と見せるたかしくん。一躍、クラスのヒーローになりました。

しかし、こちらの岸に戻ってくる途中。川の真ん中でたかしくんは、ずぼっと水の中にのめりこんでしまったのです。「こわい!」という声とともに、立ち上がったときは、頭から水が滴り落ちるほどビショビショ。戻ってきたときには、たかしくんの青いサンダルが、流されてしまいました。

「ぼくのサンダルながれたあ。おかあちゃんからこうてもうたサンダルがながれていったあ」泣き叫ぶたかしくん。

「ぼくはルミちゃんのんとったったのに、ぼくのサンダルだれもとってくれんかったあ」と怒って、泣く、たかしくん。

その泣き顔をみていると、胸が詰まって、何も言えなくなってしまったと、鹿島先生はいいます。自分の大事なサンダルを犠牲にして、友達のサンダルをとってきてやったたかしくんと比べ、教師の怠慢であることを突きつけられたような気持ちになったのだそうです。


しかし、そのサンダル事件から、たかしくんと先生の信頼関係が一気に深まります。先生が宿題で出していた「あのね帳」も、たかしくんは毎日持ってくるように。友達には優しくなり、先生のお手伝いも率先してやるようになりました。

そうした中で生まれたのが、冒頭の詩です。

10月のある日。いつもは遅刻してくるたかしくんが朝早く、先生を待ちかねるようにして「あのね帳」を出しました。先生が机に座ってノートを広げると、そこに書かれたのが「ぼくだけほっとかれたんや」の冒頭だったのです。あのね帳は、消しゴムで消した跡がいくつもあったといいます。

先生は「あたらしいおとうちゃんにこんど会ったら、読ませてやろう」と提案。たかしくんが苦しんでいることを、思いつくかぎり、ノートに書いてくることをすすめます。そうして何度も話し合って完成したのが、「ぼくだけほっとかれたんや」でした。

毎日書かせるということをしていたから、こんなにも衝撃的なことがあったときに、きちっと作品となってくると、鹿島先生は語ります。

結局、たかしくんはおじいさん・おばあさんの家で、「お腹がすいた」と腹立ち紛れにガラス戸を割ってしまい、おじいさんにランドセルを川に捨てられてしまったそう。ふでばこ、教科書、そして「あのね帳」。たかしくんの人生、そして希望が詰まっていたといってもおかしくない、ランドセルでした。

その2ヶ月後、たかしくんは養護施設へ引き取られていったのだそうです。

・・・

私はうっかり、これらのエピソードを、子どもと一緒にいるところで読んでしまいました。涙をこらえようにも、こらえることができませんでした。夜、私にたかしくんの詩を読んでくれた、あの日の母のよう。

いま日本のどこかで、同じ思いをしている子がいるかもしれない。何かしてやりたいのに、何もしてあげられない、そんな自分の無力さを実感させられるようです。

今、私にできること。それは目の前の息子たちが社会に出た時に、役に立つひとになるよう育てること。
そして、文章はときに、自分の悲しみやどうにもならない気持ちを表現するためのひとつの手段だってことを、伝えていけたらいいなあ。

息子たちが小学1年生になったとき、私もこの詩を読んであげよう。息子たちはどう思うだろう。

そして、今生きていたらきっと、50歳くらいになっているたかしくん。今ごろ元気で暮らしているといいなと思う、2021年の夏のできごとでした。


詩やエピソードはこちらの本から引用させていただきました。
(出版社さん、再販を希望します!現代の子にも読ませてあげたい)

読んでくださったかたは、思い出に残る本はありますか。よかったら教えてください。

それではまた明日。

小森谷 友美
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