名前が言えなくても堂々としていて良いですか?

どうも~千夏です。今回は吃音について書きます。

良くも悪くも私は吃音がある事自体に何の劣等感もなく過ごしてきました。

周りと上手く行かない、理解してもらえない不安はあるのですが、「吃音がなかったら」と考えたことはあまりなく、隠したいという気持ちもあまりありません。

私にとって今不安なのは吃音があることではありません。
他の当事者とは違う、吃音の捉え方に対する「ズレ」なんです。

私は吃音を個性だと思わないし、コンプレックスでもないと思っています。
もちろんない方が良いとは思いますが、その無ければよかったなぁという思いはあんまり深刻ではない気がします。
そもそもない方が良いっていうのは自分に対してじゃなくて世界から消えたなら良いなっていう願望に近いです。もし世界から消えたら苦しむ人の根源がなくなるわけですからそりゃあないにこしたことはないと思うのです。
ただ私はあっても楽しく過ごせるという運の良い環境にいたから別にあってもいっかなぁ…という感じ。
私にとっての「吃音がない方が良い」、は
身長があと5センチほしい、二重で小顔が良い。
それと同列なんですよね。自分の名前が言えたらきっと便利なんだろうな~としか思っていません。

不思議に思われたら即説明し、説明できない時はこんな人(自分のことではなくて知らなくて不思議に思う人の方)もいるよねって感じで割り切っています。
吃音があるからマイノリティについて考えるようになっていたし、吃音がなくてもいつでもマイノリティに転じる可能性はあったろうと思うのです。
親もこっちがショックを受けるくらいには「まーたまに吃音出るよね」程度にしか思っていなかったのでそもそも意識をしたことがありませんでした。
それでも困りごとはあまりなく、困りごとがでてもとてもスムーズに配慮を受けていたので気にしたことがありませんでした。
大学に入ってからは1年くらいかなり深刻に悩んだもののやっぱりこれまでの気にしないスタイルを完全に崩すことは難しいと思います。

迷惑をかけることに鈍感と思われていたらどうしよう
一番悩むのはここなんです。

私の周りには優しい人が多いので言われたことはないのですが吃音を気にしない姿勢をこのまま貫いて良いのか迷います。

言い換えるのは面倒なので即答する必要がなければほとんどしないし、吃音を理由に何かを諦めたことがありません。

就活で電話をしていると名前が言えないことはありますが「すみません」とその場で謝る時以外にはあまり罪悪感がありません。

「3分でプチプレゼン」には少々悩むもののある程度概要を決めておけばできるようになるのではと自分に期待をしてしまいます。
自分の努力と工夫、そして何より周りの配慮でどうにかなってきたおかげか気にする頻度が低いのですが、その自分の感覚がおかしいのか?と思ってしまうことがよくあります。

こんなところで終わります。それではまた~。