ゆっくりな私と生きていく【就活準備日記】

どうも~千夏です。今回はある就活のスペシャリストの方と面談をして思ったことについて書きます。

面談中ものすごくゆっくりとした時間が流れていた。
私は話すのが遅い。
特に質問をされた時には話すスピードが落ちる。
相手がものすごく聞き上手な方だったからというのもあるが私ってこんなにゆっくりと話すんだと強く実感した。

相手によってはイライラされそうなほど時間をかけたが焦ることはないため本音で話ができた。
言い換えることも、隠すこともしなかったので素の自分で話すことができた。

何度も書いているように私には吃音がある。
でもスピードが遅いのは思考のスピードの問題もあるし、優柔不断なせいでもある。
だから話すのが遅い=吃音があるから、ではない。

「吃音と就活」特集の番組はたくさんあるが、そういったものの多くが私への不安を煽るものだった。
母は吃音が特集されたことが良いことだと思っていたようで割と積極的に見ていたが、私にとっては「あなたの未来は暗いよ」と突きつけてくるものにしか感じられなかった。

それが原因で就活への恐怖は増していた。
そのことを面談していただいた相手に伝えたところ、それを言ってしまえば良いじゃんという回答が返ってきた。

最近隠そうと思っていたゆっくりな自分。

それを出すというのはかなり斬新な発想だと思う。

でも確かに私はゆっくりな自分が嫌な訳では無い。

最近ゆっくりな自分を受け入れてくれる人と出会ったことで、私もゆっくりなものを待てる事に気づいた。(ただし話すタイミングを掴むのが下手なので話しすぎてしまう傾向は変わっていない)

私は良くも悪くも遅刻した人を許せてしまう。
もちろんそれを良いとは思わないが、ひどく不快に思ったり、イライラすることは殆どない。
予定と時間がズレるが、「奪われてしまう」という感覚はあまりない。怒らないのはイライラしても仕方ないと思ってしまうからである。「私遅刻したよね?」などと相手に聞かれたら遅れた時間は伝える。ただしそれは謝ってもらうためではなく事実を知らせると言う目的で行うだけだ。自分の感情を伝えないのでこれでイライラされることはない。
自分の遅刻は許せないので5分前行動、時に1時間前行動をして時間に注意している。
万一遅れそうになったら1秒でも相手の時間が減らないように必死になる。見事に矛盾しているけれど私にはそういうところがある。

一方自分の吃音で人の時間を奪っていると思ったことはあまりなかった。
噛んでもダメ、滑舌が良くなくてもダメ、という暗黙の了解にも納得がいかない。話すことにおいて条件が多すぎる。
私が吃音関連のコミュニティに入れない理由。
それは吃音を憎んだことがないから、だと思う。
優柔不断なところや理解が遅いところは受け入れがたいのになぜか吃音は自分の中に受け入れられた。

それは否定されずに育ったからだと思う。
朗読で選ばれた時、クラスメイトのアドバイスに「もっと早く読めばいいのに」というのがあった。
私はそれを聞いて泣いた。
「早く読もうと焦らずに感情を込めること」これが私にとっての朗読のコツだったからだ。

あの頃は吃音のことは知っていても早く読めないのは吃音のせいということにはなぜか気付かなかった。
それでも私は、なぜか音読を嫌いにならなかった。
ゆっくり読むせいでいつも時間をはかるタイプの発表では必ずオーバーするのに、それでも好きという気持ちが勝っていた。
今思えば不思議だ。
時間制限のある発表では圧倒的なハンデだがそれ以外ではあまり困らない。それに要点をある程度まとめればそもそもゆっくりな事自体が否定されないことにも気づいた。
自他意識を高めるものとしては有効だったし、吃音のことを話した子とはちょっと深い付き合いができる。相手が可哀想だね、大変だねと言うのか、それとも葛藤や見えない壁に気づいてくれるのか、生きづらさを話してくれるのかで相手を知る材料にもなる。不便だけど嫌なことばかりではない。 
私の吃音を否定する人たちの多くは自分と違って「不便なものだから」「時間がかかるから」「きちんとなめらかに話さなければいけないから」という理由を持っていた。
それだって正しい。わたし自身の否定は一切されていないと思う。
話し方が変だと言ってきたクラスメイトだって、「自分との違いに戸惑ってつい言ってしまうものだ」と思っていたから頭には来たけれど、深く傷付かずに済んだ。
私は私の話し方を否定せず育ててもらえたことに感謝している。


それに就活をしてみて気づいたが奇跡的に社会人訪問やGDではハンデになることはなかった。
社会人訪問では質問をまとめた紙を準備をかけて作り情報を調べ、自分の意見も予め書き出す。 
社会人訪問をしていると必ずしも皆がスピードだけで仕事をしているわけではないことにも気付く。
もちろんスピードも身につけるべきだとは思うし、効率もまだまだ勉強中ではあるが、そればかりが求められているというのは思い込みだった。
GDでは他の人の意見を聴くことと、目的通りに動けているかということ、そして相手を否定せず自分の考えを言うことに意識を向けた。顔の歪みは気になるがそういう時こそできるだけ笑顔を保つ。
自分なりに乗り切っていた。

「『清く正しく美しく』なんて思ってたら生きづらいだけだよ」
と言われたことがある。
私はそんなことは思わないが嘘は付きたくない、偽りたくない、と思いながら就活していることは否めない。
姿勢やマナーは大切だと思うし身につけるべきだ。でもなぜ自分を偽らなければいけないのかが分からない。

「隠さなくてもいい」そう思っただけで少し恐怖が和らいだ。

焦らずじっくりゆっくり、でも確実に成長していこう、進んでいこう。

今回はここまで。それではまた~。