星崎くんの未来と発信後の私

どうも~千夏です。
前回最高の教師について記事を書きました。

その時はすぐに炎上するのではと怯えたり下書きにしようかと悩んだりしていました。
ですがあれはかなり本気で書いた記事でしたし思いの外多くの方が見てくださったことが分かったのであまり修正せずに放置しています。(誤字等は見つけ次第直すようにしているので100%そのまんまではないです)


今回はほぼ自分の話中心ですがモノクロの世界を抱えた高校生の卒業後について書いていきます。
前回の記事を書いた後に公開されたスピンオフを見た。
ああ星崎くんはちゃんと生きているんだと分かった瞬間なんだか「普通」じゃなくてもいいのかもと少しだけ安心した。
完全にではないだろうけど彼も少しずつ自分は自分でも良いと思えるようになっているようだった。
九条先生やクラスメートは彼の性格を変えることはできない。でも「世界はモノクロで誰も自分をわかってくれない」という感覚は物語の終盤でなくなったんだろうなと思う。


 

幼い頃から高3前期まで私の世界はモノクロだった。
星崎くんよりほんの少し早い段階で先生に話を聴いてもらったから卒業式にあの選択を選ぶことはしなかった。卒業式は同学年のみんなに20年後くらいに恩返しがしたいと思うようになっていた。
在学中は助けてもらってばかりで対等な関係を築くことができなかったが、卒業後にたちができたら良いと思うようになった。
かといって止めてもらった年に「私」が変わることはできなかった。少しずつ時間をかけてモノクロの世界を切り抜けていくほかない。noteで文章を書くうちに、感覚は変わらないけれど捉え方次第でどうにでもなることに気付いた。
自分の過去を見ていけばどうして感情を抑えるようになったのか、他人に助けを求めなくなったのか今なら分かる。
でも当時はそれすら理解できなかった。

壮絶ないじめには誰もが危機感を持つのに、他人と違う自分には「そういうもいる、で良くない?」「それは個性だよ」で終わらせようとする人が多く教室にいた頃そういう思想の大人にひどく不信感を抱いた。
人と違っても良いという思想自体は良いと思うのだけれど
違うことの怖さを話すたびにすぐに困り事や不安を個性で片付けられるのは
繊細さん、HSPという言葉が広まる一方でまだまだ傷つくほうが悪いという風潮は強いと感じる。(いつか書くけれど私は自分をHSPだと思っているわけではない。ただ言葉だけが広まって繊細な人に優しい世界にはなっていないよねと言いたいだけ。)
星崎に共感する人もいると知れただけですごく嬉しくなった。
別に理解しようとしなくていいから知ってほしいと思って書いた記事がすぐに誰かに読まれたというだけでひどく興奮した。

ああ生きているんだと思えた。

ただまだどこか客観視してしまうところは抜けない。
客観視すること視点は良いけれど常にその考え方だと自分に責任を持てなくなってしまう。

こういう人もいるよねで終わらせてしまうせいで
誰かに寄り添えなくなる、ドライすぎてしまう可能性もあるかもしれない。

本気で私の力になろうとしてくれた人に「人として感情持ってるの?」と言われたことを思い出す。
星崎くんもバックパッカーをやっているうちは良くても一生それで過ごせなかったらきっとそういう言葉をかけられてしまう可能性はあるかもしれない。

私にバックパッカーになる勇気や、思考の自由さはない。
でも今社会人訪問や無名人インタビューラジオで似た事ができていると思う。社会人訪問に関して俯瞰することが良いことなのかは、微妙。この性格のせいで自分を他人みたいに扱ってしまうことがある。自分の未来をイメージするのはものすごく難しいからその点では苦労する。
無名人インタビューラジオはどこか達観してしまう部分が逆に生かされているような気がする。
無名人というだけあって私は「読者の千夏」として、話せば良いからだ。
属性が私のインタビュー感想に現れることはあっても、こうでないといけないというルールはないので非常に自然体でいられると感じる。
社会人訪問と同様1対1で話をしているが自分自身の話をするのではないという点は他の活動と比べて少し特殊だ。

就活コミュニティでは質問力を褒められるのに大学ではやっぱりどこか浮いてしまっている苦しみが社会人訪問や無名人インタビューで少し和らぐ。
もちろんそれが主目的ではなく単純な人を知りたいという気持ちと(怖いけれど)自分を知りたいという気持ちが私を衝き動かしてくれたと思う。
でも結果的にはこれらの活動がこういう自分でもいいかもと思える自分にしてくれたと思う。

大学は自由だ。怒られないし、否定されてきた自分らしさが肯定されることがある。
それでも高校ほどの締付けはなくてもどこかで「大学生らしさ」を求められることはまだある。
それに誰より私自身がそういうらしさに押しつぶされてしまう。

でも世の中悪いことばかりではない。
生きやすくなったと断言はできないけれど、確実にモノクロの世界に色がついたと思う。

と少しいい感じ(?)の展開で書いてきたけれど実はそんなふうに好転したことを書いて終わりにするつもりはない。
星崎くんロスか、就活の疲れかで寝込む生活を過ごしている。
たったそれだけで不安になる。
みんなと同じができなくて就活で自分を否定される気がして行動したが無理がたたったのかもしれない。
やっぱり怖かったのだ。
中2くらいの頃に見た吃音のドキュメンタリー番組が忘れられずそれ以降就活が怖く、怖いからこそ必死にやってきたけれどまだ不安は残る。
吃音だけじゃない。暗黙の了解や敬語や賢くない自分がバレること等ありとあらゆることに対して不安は残る。(なお人と違う感覚は吃音から感じたことではないのです。吃音ひとつで変なラベルを貼られるのに、それ以外の部分も「変」と言われてきた自分が社会に受け入れられるのか不安なのです。)
それでももう「世界はモノクロだ」とは思わない。
心配してくれる人や休むことを否定しない人に出会えたからだ。ありがたい限りである。

「最後の教師」は10代の頃みたいドラマと思っていたけれど、10代じゃなくなったからこそ観られたかもしれない。

特に高3だったら星崎くんと自分が重なりすぎて苦しくなりそう…。


長くなりましたがこんなところで終わります。それではまた~。

p.s.
星崎透くんを演じる奥平大兼さんのファンになったかもしれません。
「かもしれません」と書くのは私が飽きっぽいからです笑
「サヨウナラのその前に」と「卒業式に神谷歌子はいない」も観ていて奥平さんの作品は3作品目だったのに魅力に気付くのが遅れました。
奥平さんのこの作品の出演に喜びすぎて携帯を投げてしまった人がいると彼の公式インスタアカウントで知りました。その方が本当に投げてしまったかは定かではありませんが、そういうコメントをする人がいるほど彼に魅力があるのは納得です。