志乃ちゃん再び【映画感想ネタバレあり】

どうも~千夏です。今回は映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えないを」観た感想を書きます。
見るたびに感想が変わるのでこれで観るのは数回目ですがもう一度書き直します。

アマプラで見られるのですがもうすぐ見られなくなるので観たい人はすぐ観てください!
ネタバレありでテキトーに書きます。今日はクオリティーとか考えず書き殴りますね💦


再び観たのは朝ドラ「クレッシェンドで進め」に音痴なキャラクターが出てきたからです。

この映画にも音痴なキャラかよちゃんが登場します。それを思い出しまた観たくなったのです。


この映画、主人公の志乃ちゃんではなく志乃ちゃんと一緒に過ごすかよちゃんについて注目してみると見方が変わります。
おんちだけどミュージシャンになりたくて、でも人前ではそれを隠しているかよちゃん。
かよちゃんは志乃ちゃんにメモを渡すことで友達を作ります。

吃音があって話すのに時間がかかる志乃ちゃんはこのかよちゃんのおかげで無理に話さなくてもコミュニケーションを取る方法を手に入れます。
かよちゃんは歌のうまい志乃ちゃんのおかげで歌わずともミュージシャンという夢に一歩踏み出すことができました。
良い友人関係のようでいて実は補完しあっているのです。

菊池という男子生徒が途中からでてきて流れはかわります。かよちゃんとふたりで話せるようになっていった志乃ちゃんは菊池がかよちゃんとはなしているところを見て心を閉ざします。

かよちゃんにはなぜそれが心を閉ざすのか分かりません。

クラスで浮いている菊池は居場所を手に入れようと二人の間に入ってきますが、菊池との間に補完しあうものはありません。
しかも彼は志乃ちゃんのコンプレックスを笑った相手でもあります。

そのため志乃ちゃんは心を閉ざし、普通の青春映画っぽくめでたく文化祭で自分たちの良さを発揮して成功体験を得るというオチにはなっていないのだと思います。

でもかよちゃんは志乃ちゃんがいなくてもみんなの前で堂々と歌えるようになったし、志乃ちゃんはかよちゃんの渡したメモを使わなくても笑われるかもと逃げることなく話すようになりました。

菊池はいつも通りお弁当を一人で食べています。
でも次に三人がつながりを持つなら補完し合ったり居場所を求めてではない友達になれるんじゃないかと思います。
かよちゃんの歌い通したステージを志乃ちゃんは見たし、志乃ちゃんはかよちゃんに本音をつたえます。だから一緒にはいないけれどお互いにとってのハッピーエンドなんだと思います。
志乃ちゃんの文化祭で泣きながら話すシーンは志乃ちゃんを知らない生徒にとって意味不明なセリフのようでいて、かよちゃんの作った曲の歌詞をしっかり聴いていればある程度伝わります。「魔法はいらない」ということでお互いの力を補完しあわなくてもやっていけるという意志を示したかよちゃんとどもってもちゃんと自分の言葉で思いを伝えた志乃ちゃん。すごく良い関係だと思いました。
「あんたは許してもらえるんでしょ」と吃音のことをそんなふうに表現したかよちゃんですが、その許してもらえる部分にあまえるのをやめた志乃ちゃんはその言葉からも逃げていることをしっかり自覚したのだと思います。
互いから自立して夢に近づいた二人。どっちもかっこいいです。
コンプレックスだらけの青春物語とか吃音映画でもあるんですけど
本当の自分と向き合うための仮の友達がお互いにしのちゃんでかよちゃんだったところに、仮の関係を壊す菊池によってそれが仮であることが明らかになる話なんですよね。 
感想は以上です。前とは別角度でみることができました。
それではまた~。