千夏、特性によるできない壁にぶつかる【ゆるゆる日記】

【出来事】

・模擬授業と自己紹介練習

・再提出資料を受け取る。

・親とのやりとりに失敗する。


【感想】

・模擬授業があった。10分程度で音読する時間が多かったのでどうにかなった。場数を踏むことが大事だと思うのでこれからも数を踏み続けるしかない。

実習に向けて自己紹介練習があった。

どうしても吃音が出るのを避けられない単語は多い。高2の時に演じた演目はアラジンなのだが、そのことを伝えるには吃るしかない。置き換えると自分らしさがなくなるからリズムや間合いでどうにかする。

考えながら話さない練習量と吃音が出ても動じない強さをつけていこうと思う。


・再提出資料を受け取って文字へのトラウマを思い出したからだ。ちょっと字が汚くてコンプレックスを持っている、のとは違うことを実感する。突き返されるのはショックだけどありがたくもある。「普通」に書く目指すべきレベルを知るのには有効だと思う。あと10年したら教えてくれる人もいなくなるだろう。ありがたい。

でも私は他の人の倍は時間をかけて下書きを書き、清書しているからやっぱり悔しい。それでも「困っていない」ことにされて生きてきたからやっぱりここも努力で乗り切るしかないのだ。

「吃音の辛さは年齢ではなく吃音があっても大丈夫だと知らずにどれだけ長く過ごしたかによって決まる」という言葉を数日前知った。マイビューティフルスタッターという映画の予告にある言葉だ。

私は吃音に関して大して悩んでいない。だけどこれを文字に置き換えると私にも当てはまる。字が汚いことで怒られたり、怒鳴られたりされたことは数知れない。小学生の頃は大きなマス目のノートを使って授業を受けた。プリント塾では「字が汚いので赤字をなぞれ」という課題が追加となった。中学生の頃は毎度ノート提出が減点となった。読書感想文は清書に半日かかったし、お礼状や寄せ書き等は毎度教室に残って必死に書いた。美文字ノートは2冊やったけど、簡単に私の字が「直る」ことはなかった。

高校を卒業する頃には怒られることはなくなった。でも「個性なんだよ」とばかり言われて「諦められた」と感じてしまった。

願書は6回は書き直したし、志望理由書もそれくらい書き直している。それでも私はメンクリに行けば「大して悩んでいない自称発達障害者」みたいなことを言われてしまった。女の子だからASDはなさそう、ADHDは話聞く限り傾向はあるかもという乱暴なものでちゃんと診断はついていない。

心理士さんには不器用さがそういう困りごとにつながっているのではないかと言われた。


そういう嫌なことをたくさん思い出した。ああやっぱり私は「普通」になれない。普通になっていたらモヤモヤは生まれずnoteを始めることもなかった。だから悪いことじゃないんだけどやっぱり苦しいことは苦しいし、つらいものはつらい。できなくはないけど苦手なことってどうしていけば良いんだろう。

・親とのLINEのやりとりに失敗した。伝え忘れに親が心配してくれただけなんだけどうまくLINEを使えなくて、迷惑をかけてしまう私には苦しい出来事だった。「私ってこんなこともできないんだ」がまたひとつ増えてしまった。急に消えたくなる。この希死念慮も明日にはきっと消える。でも今は苦しい。