当事者って誰だろうと思うこと2

どうも~千夏です。
今回は「当事者」という言葉について書きます。

色んな事柄にはそれを経験した人がいて、その人たちみんなが「当事者」になる。
これは当たり前のこととして扱われるけれどみんなが同じ経験をするわけではないから、どこまでが当事者なんだろう、とモヤモヤしています。
そんなことを文にしてみようと書いたのが
こちらです。

当たり障りのないように書いてみたものの本当にもやもやしていることは書けなかったのであえて第一弾として出してみました。本当に書きたかったのは吃音のことでした。

私は「吃音当事者」としてはかなり中途半端な立ち位置にいるなぁと思っています。

なぜなら
私は次のような特徴を持つからです。
・吃音を理由に苦しんだことはバイト面接と小学校の頃の卒業の言葉と中学時代の同級生のからかいが主であまり苦しんできたことが多くない。
・昔から音読が苦じゃない。むしろ会話よりスムーズであることも多いので音読で、悩んだことはあまりない。
・吃音を避けずにやってきたこと↓
代表委員会。応援団オーディション、放送委員会オーディション。朗読劇。朗読発表。生徒会選挙演説。文化祭の受付。(受付は私の吃音を知った上でそれでもなお「挨拶できて姿勢が良い」と評価を受け選んでもらった)
・緊張すると吃音が出ることが増えたのは大学入学後。
・ことばの教室に通っていたので症状を自覚してから名前を知るまでにあまり時間がかかっていない。
・吃音の配慮は時々受けながら、その上で話すことを避けずに生きてきた。
・吃音が酷いときもそうじゃないときもゆっくりと話すことが多い。(ただし雑談で好きなことを話すときにはあまりにスムーズに話せるからか早口になることもある。)
・隠したいと思ったことが少ないので今さら吃音を隠すことが難しい。(→心理的な理由)
・頻度や症状の重さは軽いが、随伴症状があること、連発、伸発、難発と複数症状を持ち合わせていることから隠すことは症状からいっても難しい。(→心理的な理由以外)症状に波があるので軽い時は全く気付かれないと思う。
・親は吃音の配慮(会話の際しばらく待ってほしい)を先生に頼んだこともあり、吃音があることは把握している。
・吃音の「カミングアウト」はしても良いししなくても良いと思う。むやみにするもんでもない。
・親は私の吃音について「大したことない」と繰り返し言っており、音読がうまくできなくてもそれについては「だから何?」という状態。
・以上の理由により吃音による悩みを話すことはあまりないが吃音があることは把握しているため会話する際は待ってくれる。
・友人にたいして吃音を隠すかについては微妙。
わざわざ隠しはしないけれど支障がなさそうならわざわざ話すこともしない。深く付き合いたい人や自己紹介の際名前がうまく言えそうになければ話す。
・立ち話で吃音が出ると相手を引き止めてしまうため苦手。
・中高の吃音の配慮はありがたかったけど、発達障害グレーゾーンでたくさん特性に苦しんだのに吃音ばかり配慮されてもどかしい気持ちになった。
・症状は軽いけれど、波が大きいため稀に筆談やジェスチャーを用いる。
・自分の意見ははっきりと主張する方。元目立ちたがり屋で今は出しゃばらないこともあるけれど基本的には大人しくない性格。
・上記のような性格なので吃音という言葉とのイメージのギャップを持たれやすい(と自分では思う)。
・名前が言えなくて、「人見知りなんでしょ」「慌てなくていいから」と性格を勘違いされやすい。
・吃音があってかわいそうと思われることや同情されることを酷く嫌う。
・吃音を治したいとはあまり思っていない。これは自覚してからも大学に入るまではあまり支障をきたしてこなかったためだも思う。
・吃音があってもなくてもたくさんの困難があると思う。
・雑談時は吃音が出ないという特徴があるため、友達と話したいのに話せないという経験はあまりない。
・たまに言い換えたり、工夫をしつつそこそこ快適に暮らしているので「吃音治ったね」と言われるのは不快。
・スムーズに話せないことよりスムーズに話せないといけないという社会の空気が嫌。
・今の悩みは就活に関すること。
吃音を隠したくはないけれど障害者手帳の取得ができるほど症状が重くはないと思うので一般就労でどれだけ戦えるのか不安。
 
長くなりましたが特徴は以上です。
まとめると
・支障はきたしにくいけど、隠すことはできない。
・吃音が軽い故に悩みを軽んじられやすい。
・配慮を受けてきたので、吃音を否定された経験が少なく耐性ができていない。
・人と関わる仕事、話す機会が多い仕事がしたいけど、不安。
・特に治したいというこだわりはない。

こんな感じ。
私は当事者にあったことはあるけれどそれはことばの教室がほとんどで、それ以外で会ったことはほぼありません。これから就活でたくさん苦しい思いをするんだろうなとは思っているものの、吃音を悲観して生きていくつもりはありません。
それだけ恵まれてきたということでもあるんですが、それゆえに自分と似た思いの人にネットでもリアルでも出会ったことがありません。
「吃音あるある」も当てはまらないことが多く当事者なのに当事者なの?と葛藤があります。
「軽いけど隠せない」という人も少ないみたいで、当事者会にあまり行きたいと思えない要因に、なっています。他の人の悩みを知ることで「自分より辛い人がいる」と知ったら自分の悩みなどとても話せる気がしません。しかも雑談でどもることがないので本当にこの人当事者?と思われるのも怖いです。

隠す気もないし、悲観したくもないけど、他の人と違う意味で誰にも言いたくないし孤独だな~と思います。
同情されたくない謎のプライドや中高時代にそれなりに良い経験ができたことも今の悩みを誰かに相談する邪魔をしているような気がします。

他の当事者の悩みを理解できない。
吃音への価値観が異なる。
でも非吃音者ではなく確実にある。
そんなどこまでも中途半端な私は葛藤を抱き続けています。

そんなところで今回は終わります。

それではまた~