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作家の読書術

「プロの小説家になりたいなら本を●冊読め」
「そんなのムリだ」

……の論争が、定期的に起こりますね。人によって必要な冊数は違いますし、同時にある程度の基礎知識がないと行き詰まるのも、また事実です。なのでこの意見には、両方とも半分肯定で半分否定です。もっともプロになる人は濫読気味というか、そもそも読むのが苦になりませんから、中山七里先生のように、毎日小説1冊と映画1本を見ても、苦にならない人もいます。

個人的に勧める読書方法や、映画やニュースのインプットなどを含む、情報摂取方法をいくつか紹介してみます。自分でやって効果があったもの、他の方がやって効果があったもの、いくつか織り交ぜて。



①耳でも読書する

読むというのは、目を奪う行為です。人間の情報のインプットは、目に70%を頼っているとか、80%だという説もあります。そういう意味では、本を読むという行為は、目をインプットに酷使する方法でもあります。でも、人間には視覚の他にも、聴覚・触覚・味覚・嗅覚などの五感がありますから。視覚ではなく聴覚で情報をインプットする、これは意外に大事です。なので、オーディオブックを聞くのは有効です。

他の仕事をやりながらで聞くことで、時間の節約になります。もちろん向き不向きが有り、ナガラではダメだという人もいます。でも、漫画家さんとかでもラジオやテレビを仕事中は流しっぱなしにし、マルチタスクで仕事をする人も多いです。ラジオは、絵作り重視で内容が薄いテレビよりも、濃い情報が得られます。

また、ラジオドラマ(オーディオドラマ)を聞く、落語を聞く、映画やドラマの音声だけ聞くのも、有効です。「日本の映画やドラマは、セリフで全部説明しすぎ」という批判をよく聞きますが、優れた作品って、耳で聞くだけでも実際は、過不足なく情報が入っているものです。

②他分野で代替

上で紹介した、オーディオドラマや落語を聞くとも、繋がりますが。小説家や漫画家になるなら、同業者の作品を読むのは当然として、落語を聞いたり映画や演劇を観たり、他ジャンルを学んだ方が、得る物は大きく、差も付けられるでしょう。

手塚治虫先生も、同業者も驚く仕事量をこなしながら、年間365本以上の映画を見ることを課していたとか。藤子不二雄のお二人も、それに習ったそうですし。創作物でなくても、学術書のほうが創作のヒントになることは多いです。

実際、自分が好きだったことを仕事にすると、全部を分析的に見ちゃって、楽しめなくなるんですよね。さらに言えば、迂闊に同業者の作品を呼んで、その内容が頭に残って、無意識に盗作になってしまう危険性もあります。であるならば、他のジャンルからインプットするのは、有効です。

③量より質を重視

1回読んだら・観たら忘れないなんて、記憶力はそうそうありませんから。新作を10本読んだり観たりするより、自分が気に入った作品を、繰り返し繰り返し読んだ方が、記憶の定着率も良くなりますし、細部にも気がつくようになりますから。

黒澤明監督と山田洋次監督が対談したとき、黒澤監督は自分の作品のどのシーンでも、元ネタが何かを言えると、語ったとか。スピルバーグ監督やルーカス監督らが影響を受けた、世界的な巨匠でさえ、過去作をベースに新作を作るのですから。

なぜ「●冊読め」論が出るかと言えば、その過去作を組み合わせるデータベースが必要という面も。落語家でも、100本の持ちネタがあっても、稽古なしでかけられるネタは10本とか20本。軽くさらえばできるネタ、稽古し直さないとダメなネタ、イロイロです。

落語家でも、100本の持ちネタがあっても、稽古なしでかけられるネタは10本とか20本。軽くさらえばできるネタ、稽古し直さないとダメなネタ、イロイロです。それなら、使いこなせない100本より確実に使える10本。数より質が大事なこともあります。10冊の新刊を読むより、1冊を10回読む。

④古典に親しむ

新作で刺激を受けるのも大事ですが、既に評価が定まった古典を読む・観ることで、得るものは大きいです。「ローマの休日は118分の映画だが、語りたいことは100時間でも足りない」と鍋島雅治先生が昔、語っておられましたが。完全に同意です。

③の内容とも関わってきますが、古典を繰り返し見ることで、再発見があります。100冊の新刊より一篇の漱石と、思います。また古典なら、オーディオブックになっていたり、近年はYouTubeで朗読を発表されている方もいらっしゃいますからね。これは①とも連動しています。

そして、誰もが知っていて、とっくに著作権が切れてパブリックドメイン入りした作品なら、影響を受けても盗作という批判は起きません。古典なんて古臭いという人もいますが、岡本綺堂の小説を、昨日脱稿したかのように瑞々しいと表現されたのは、宮部みゆき先生でしたか。

実際にそうなのか、ぜひご確認を。

⑤童心にこだわる

10歳から15歳のときに好きだったものにこだわれ───これは富野由悠季監督の言葉でございます。正確には、小学校高学年から中学生の、六年間に好きだったものに一生こだわれ、でしたか。

低学年では分別がなさすぎ、高校生だと余計な知恵が付きすぎがちなので、たしかに思い当たります。この6年間に好きだった小説やマンガや映画やアニメを、見直す。すると、記憶になかったシーンに再会したり。逆に、確かに見た記憶があったシーンが違っていた、あるいはそんなシーンはなかったことに気づきます。

特に、なかったシーンをなぜ自分は脳内で生み出して、補完したのか? そこを突き詰めていくと、自分のこだわる部分、創作の原点みたいなものが、見えてくることもあります。

もっとも、刑事責任年齢は14歳以上とされます。中二病なんて言葉を伊集院光さんが創り、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公たちが14歳であったように。14歳は曲がり角。8歳から13歳の6年間のほうが、いい人もいるでしょう。

⑥好きこそ物の

「プロの小説家になりたいなら本を●冊読め」というのは、だいたいプロの作家ですね。小説家の総数は分かりませんが、ラノベ作家は9082人という集計もあります。純文学や推理小説などを加えても、2000人前後ぐらいでしょうか? 多いと思いますか?

全国に医師国家試験に合格し、厚生労働省に登録した人間は、約34万人もいて、完全な才能の世代だと解ります。こちらの桂米左師匠の修行時代の動画を見ると、三編稽古でなかなか覚えない弟子に、桂米朝師匠は「枝雀は一回で覚えたぞ!」と叱ったそうですが。凡人には無理です。

ある作家さんは『男はつらいよ』のファンで、何十回もDVDを流して仕事をしていたら。49本のシリーズの、どの話のどのセリフか、聞いただけで解るようになったとか。そうやって、質の高いデータベースを持つことが、1000本の新作を観るより、得る物があります。

⑦ドーナツ理論?

数をこなせ論は、記憶力がいい人向けの方法論です。上岡龍太郎さんのドーナツ理論で、誰もが知ってることを学んでも意味がないので、他人が知らない部分の知識を増やすことで、才能豊かな人間や、知識豊富な人間に対抗できると。これを実践したのが、島田紳助さんで。

野球選手と、シーズンオフに野球の番組を作るとき、野球の技術論や知識では、現役のプロや元プロに、勝てるはずがありません。でも、阪神タイガースの二軍選手を追いかけ、特定の選手についてはプロより詳しくなることで、プロにも一目置かれると。

個人的には、このドーナツ理論に、古典を繰り返し読むことで、真ん中の穴を埋め、アンパンのように中心にアンコという自分の好きを核にした、得意の分野を持つこと。このドーナツ→アンパン方式が、有効に思います。なら、最初からアンパンを目指せばという人もいますが。

どうもモチベーションの維持という点で、最初からアンパン型ができるのは、一部の才能ある人だけのようで。ドーナツ→アンパン方式が、遠回りのようであんがい有効に思いますが。押し付けているわけではないので、自分にあった方法を見つけてくださいませ。

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