平凡を試す意味
以前、X(旧Twitter)で、こんなポストを見かけました。
①蓼食う虫も好き好き
美味しいの基準は人それぞれで、蓼食う虫も好き好きだったりしますから。
まずは平凡な、クセのないものを作ることを学ぶのは、大事かと。
個性は学べないから、個性ですから。
この感想に対して、こんな引用ポストをいただきました。
「不味いもんは作らないようにしよう」と「万人受けする料理を作る」は違うんですよね。そこをさらに、個性はいらない、と誤読されていらっしゃるようですね。また、万人受けする作品を書けとか言っていません。それどころか、昨日もそれは否定しているのですが……。
②バイアスがかかる
X(旧Twitter)で圧倒的に多いのが、
「リンゴって美味しいね」
「あなたはみかんが不味いと言いますが」
「言っていません」
というやり取りです。
相手が言っていないことを勝手に読み取る……と言うよりも、自分の中にすでに結論があって、その結論から照射して、他人の文章を読んでしまう。
この方も、「個性が大事」という創作神話を信じているのでしょうけれど。元ポストのDKさんは、そういう個性神話に振り回されて潰れた投稿者を、数多く見てきたのでしょう。
そして、それを同じように見てきた自分もまた、まずは個性神話を安易に信じて、迷走するより、不味くない物を作るという逆転の発想というか、帰納法と演繹法のような複眼を持てという視点で語ったのですが。
③打撃投手の逆説
例えばプロ野球では、バッティングピッチャー(打撃投手)と呼ばれる仕事があります。打者にマシーンではなく、生きた投手の球でタイミングを取ったりします。
基本は、気持ちよく打者に打ってもらう立場です。
ある新人投手が、プロの壁に悩まされて、どのコースにどの球種を投げても打たれるような気がして、自信喪失していたとき、バッティング投手をやったら、打ちやすい球を投げてるのに、強打者が打ち損じたり空振りしたり。打ちやすい球を投げてもあんがい打たれない、という逆説の気付きがあったわけです。
クセのない平凡なものを書くというのは、このバッティング投手の逆説と同じです。つまらないものを書けとは、意味が違うんですね。
④創意工夫の妙
個性を出そうとして・出せると勘違いして、呻吟している投稿者は多く、この手法はかなり有効なんです。人を指導した経験があるDK氏や当方には、これが痛いほどわかるのです。
鉄腕と讃えられた稲尾和久投手のように、バッティング投手から投球術に開眼した投手はいます。ちなみに稲尾さんは、10球に1球は打者の要求とは違うボールを投げ、打者の得意不得意、自分が練習している新球が通用するか、試していたとか。
漫然と言われたとおりに投げるか、自分なりの創意工夫を見つけるか。それも個性です。意識の高さです。
どうも、個性を誰も投げられないような魔球を投げるイメージで捉えているようですが。そういうのは才能による部分が大きく。
⑤独学で独覚
でも、バッティング投手として打者の要求するコースと球種を投げることで、逆に組み立てを学ぶことで、そんなボールを投げられない凡人も、別の個性を得られるのです。
これは同時に、誰も投げられないような魔球を投げる才能を否定するものではありません。そういうタイプは、下手にコントロールや組み立てを教えても、個性を殺すことになるので。
また、そういう人は、独学で独覚するものですから。
ウチの講座の、比較的デビュー率が高い理由です。
⑥汎用性?
他の方の、的確なポストがありましたので、最後に引用しておきますね。
個性がある人でも、致命的な欠点のせいで、その才能が発揮できないことがあるので、せめて赤点にならないレベルで、穴を防ぐ必要はありますからね。欠点は悪目立ちして、せっかくの輝きさえ、消してしまうのです。
ここら辺は、酒見賢一先生も指摘されていらっしゃいましたね。
佳作デビューは出世する、というジンクスの理由。
実際に、人を指導する立場になれば、個性を伸ばせば悪い点も消える、なんてのはケースバイケースで、一般化はできないと気づくのですが。
個性が大事神話と同じく、根強く進行されています。
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