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誰向け・何ねらいのパロディか?

X(旧Twitter)を見ていたら、こんなポストが流れてきました。

今週号の『新九郎、奔る!』、まさかの『ねじ式』の目医者のパロディ。これ、今の読者で『ねじ式』を知っている人はもうほとんどいないだろう。誰向けの何ねらいのパロディなんだろうか。

https://x.com/Zty1XZhlBKRcsqZ/status/1770442216366055927?s=20

これに対する、ゆうきまさみ先生御本人のポストがこちら。

入間川さんがご存知ならばそれでよいのです。誰向けの何ねらいか、と言えば、作者向けの息抜きねらいということになりましょうか。

https://x.com/masyuuki/status/1770495959472206323?s=20

これに関する、雑感を少し。


若者にはわからないけれど、数年後、あるいは数十年後にわかるネタを仕込むのって、あんがい作品の生命を延ばすんですよね。あの意味は、元ネタは、これだったかと気づくことで、作品の評価が読者の中で、ワンランク上がるので。魔夜峰央先生はこれを「三年殺し」と呼んでおられました。本来は、クックロビン音頭のポーズが、ヨガの浮易のポーズだというウソを混ぜて、それをバラすのに数年かけるという手法ですが。鹿政談のネタに、笑福亭松鶴師匠のエピソードをさり気なく混ぜたりも、同じとのこと。

先ごろ亡くなられた鳥山明先生の出世作『Dr.スランプ』の、アラレてゃんの学校のクラスメイトとしてモブの中にいた狐面に手ぬぐいの着物姿の少年も、つげ義春先生リスペクトなんですよね。でも、当時の小学生には一世代前のネタですから、元キャラがわからず。気づいたのは数十年後でした。アメリカンポップなタッチを、マンガに取り込んだ最先端の鳥山明先生が、シュールなガロ系作品の影響も、ちゃんと受けていたのが、驚きであり喜びでした。そういう体験が、作品の見方を深めてくれます。

このポストに、山本貴嗣先生も反応されていました。ありがたい話です。

自分も先日、有名な歌手の歌で40年ぶりくらいに「あっ、この歌詞の真意はそこだったか!」って気づいて、昔興味が無かった歌を何度も聞き返し「理解してなくてご無礼いたしました」って心で謝ったりしてたんで、そういう数十年越しの発見っていいものだと思います♪

https://x.com/atsuji_yamamoto/status/1770879423052738772?s=20

例えば山本先生がアシスタントをされていた、はるき悦巳先生の名作『じゃりン子チエ』も、大阪の下町の明るくたくましい庶民の日常を描きつつ、子ども同士のいじめがさり気なく描かれ、厳しい現実も描かれておりました。また、父親のテツが無実の罪で鑑別所に入っていたと語り、卒業写真に一緒に写れずなかった意味が、大人になって思い当たったりします。ここらへんは、評論家の呉智英氏が『現代漫画の全体像』で分析されていましたので、興味がある方はどうぞ。私は、少しだけ結論が違いますが。

わかりやすさは大事ですが、それだけでは作品は浅くなりがちですね。飽きられるのも早くなります。読者が買って、手元に置いて繰り返し読んでもらうには、深みも必要です。松尾芭蕉がいう、不易と流行も必要なのです。新しさと普遍性、この2つがないと作品の生命も、永続しません。春風亭柳昇師匠が、間口と奥行きという言い方をされていましたが。流行が間口、不易が奥行き。奥行きの深さを増すのが、ゆうきまさみ先生の遊びの部分かと。

そして、それら不易と流行・間口と奥行きとを、高いレベルで奇跡的に兼ね備えた作品を、名作と呼ぶのでしょう。


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