見出し画像

「HAPPYの連鎖」=皆が笑い合い、応援し合う社会の輪のモデルを作りたい NPO法人グローブ ジャングル 代表理事 森 絵美子さん

物質的な豊かさは満たされたものの、人間関係は希薄になり、笑いが減り、1人で頑張るのが当たり前な社会になった日本。そんな日本では感じることが出来なかった、人の明るさや、壁のない関係性。心が満たされ、動いた時に、自然と自分も相手も活きる道が開いて行った。そんな森さんに、お話を伺いました。

プロフィール
千葉県出身、大阪府箕面市在住
専門学校卒業後、超氷河期時代の就職活動を経験し、奇跡的に大手スポーツメーカーへ入社。6年間営業職を楽しむ。26歳の時に、「30歳・40歳なんてあっという間よ」の先輩の一言に急に焦り出し、会社を辞め海外へ。リュックを背負いバックパッカーで一人旅35か国目でカンボジアと出逢い、心が震え、ここで何かがしたいと旅が終わる。
バコン村の寺子屋で、3か月間の日本語教師を体験、カンボジアがさらに大好きになる。2005年11月、前身MAKE THE HEAVEN Cambodia Project発起、同月カンボジア事務所を設立。現地に駐在して、3年間支援活動に夢中になる。
結婚&出産を機に日本に戻り、同団体の日本支部を設立。2016年10月仲間と独立をして、NPO法人Globe Jungle設立。現在は、子育ての傍ら、次のカンボジア渡航を楽しみに大阪支部で仕事をして、気がむいた時に家事をしている。
座右の銘:ワクワクすることが大前提

あっという間に40歳になるのは嫌!!自分がやり残した事ってなんだろう?

記者 どうぞよろしくお願い致します。

 絵美子さん(以下、森) どうぞよろしくお願い致します。

記者 もともとカンボジアや途上国の子供たちにご興味があってやり始めたんですか?

 もともと社会貢献やNPO・NGOの意味も分からなくて、普通に東京で6年間OLをしていました。専門学校を卒業して某大手スポーツメーカーで働いていたんです。6年間、ゴルフクラブの営業をしていました。

記者 すごい。ゴルフグラブの営業って難しいですよね?

 最初は何が楽しいのか分からなくて。ヘッド、グリップ、シャフト、全部大きさが違う。そっからなんですけど、こんなに面白いものはないわって位楽しくなったんです。でも20代後半になると、「このままでいいのか」とか、「自分の居場所ってどこなんだろう」って模索し始めて。会社はすごく楽しかったんですけど、ずっとその会社で働いている40歳位の女性の先輩に「30歳ってあっという間よ、40歳は更にあっという間よ」って言われた時、「あっという間に40歳になるのは嫌!!今、この会社にいるのは楽しいけど、やり残した事って何だろう?」と思って海外に憧れを持ったんです。

カンボジアとの出会い

 26歳で会社を辞めました。当時、電波少年という、芸人がリュックを背負ってヒッチハイクをして色んな国に行ってゴールするっていう番組が流行っていたんですけど、「さすがにヒッチハイクはなぁ」とは思ったんですが、挑戦したくて。行きのチケットだけ握り締めて旅しようと思い、サンフランシスコに行きました。空港に降りたったものの、全く英語が分からず、どうしようって。町まで行ったんですが、バスも乗れない。どこ行っていいかも分からない、そんな状態だったんですよ笑。

記者 すごいチャレンジ精神ですよね。

 当時は若かったんで。それで、「バスに乗れた、よし」「バスから降りれた、よし」って小さな「よし、よし、よし」をクリアしていくのが楽しくなってきて。「これは面白い!!」と思いました。「これは会社辞めて良かった」って。だんだん英語にも慣れ、お金が無くなったら日本に帰国して、バイトでお金をがっつり貯めて、30万貯めたら今度は南米だ!って。
 色々廻る中で、日本の良さに気付いたんですが、自分は日本人なのに日本のことを知らないな、と。それなら「よし。日本語の教師になろう」って思って、日本語教師の資格を取って、オーストラリアの小学校等で1年間、日本語を教えました。1年経って、このまま日本に帰るより、アジアを知らないからアジアを旅しようと思い、そこでカンボジアに出会ったんです。

記者 カンボジアはどんな国だったんでしょうか。

 カンボジアは、空気感が穏やかで、とても心地良かったんです。人も明るくって、気づいたら子供たちが自分に乗ってる。日本人は人との距離が近づくのに時間が必要ですけど、カンボジア人はお構いなし。境界線もない感じで、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん垣根を越えていくんです。どんどん満たされていくし、何だろうこの暖かい気持ち、って。心が動きまくりでした。旅した国の中で、何かしたいと思ったのは初めてだったんです。その時はお金が無かったので帰国しましたが、「30歳もあっという間よ」って言われたけど、30歳をすごく笑顔で迎えられたんです。

日本語教えてる場合じゃない!!ちゃんと知ろうとしてなかったな

記者 すごいですね!

 本当にカンボジアで何かしたいって思いました。だから朝・昼・晩バイトして、またカンボジアへボランティアをしに行ったんです。日本語教師の資格を持っていたので、アンコールワットの近くの村で、三ヶ月、ガイドになりたい中学生を集めて「あいうえお」から教えたんです。プリントも机も自分で作りました。
 カンボジア語が分からなかったので、手振り身振りでジェスチャーして教えました。その子たちの中から、いつか、ガイドになる子が現れたり、通訳として働く人が出てきたりするといいなと思って。
 3ヶ月経ったくらいに生徒から「お家来てよー!」って言われたので、家に行ったら庭に黒い穴が開いているんです。そこに水が溜まっているんですが、それを小さなコップで飲むのを見た時、ちょっと待って!!って思いました。「これで飲んでるの?」って聞いたら、生徒は「井戸がないので。」って。こんな生活をしてるんだ、笑顔の裏にはこんな状況があるんだって気付いたんです。日本語教えてる場合じゃない、貧しいのは分かっていたけど、ちゃんと知ろうとしてなかったな、って。日本語の方は誰かに引き継ぎ、私は井戸を掘ったり、お金が無いならお金を集める、こっちの方をやっていきたい、って思いました。

てんつくマンとの出会い

記者 大きなきっかけでしたね。

 そうなんです。そこから始まったんですが、3ヶ月のボランティアだったのでお金が段々無くなってきたから、「日本に帰って、お金貯めてから来るわ!」って言って、帰国しました。
 帰国後、あるイベントで元吉本芸人のてんつくマンという活動家に出会ったんです。私もボランティアでお手伝いしていた事を伝えたら、てんつくマンに「俺もカンボジアでずっと支援していきたい。でも駐在員がいないので、事務所を作ってくれる人いないかな。」って言われたので、「行きます。」って言ったんです。スタッフになると自由の身ではなくなるかな、という思いもありましたが、彼はずば抜けて自由な人で、「お前のやりたいことを形にすればいいんだ」って背中を押してくれました。背中を押して、その後は放置だったんですが、その放置っぷりが私にはぴったり合ってて、本当に自由にやらせてもらいました。
 私、0から1っていう段階が好きなんです。企画書の前段階の、どうする?どうする?っていう感じがすごく好きで、この活動も気付いたら14年続いてました。手伝いたいって言ってくれる人も増えてきて、2年目、3年目からお給料を生み出すことも出来て、てんつくマンからも独立する事ができたんです。

旅で出会う人は大事にしろ。旅先で出会った人はずっと続くから

記者 本当にすごいですね。絵美子さんは、ご両親にどんなふうに育てられたんですか?

 うちはね、私が中学くらいの時に、母が亡くなっているんです。お父さんは何でもやれって言う人だったんですね。旅で出会う人は大事にしろ、って言うお父さんだったんです。旅先で出会った人はずっと続くからって。
 その時は「へー」と思ってただけだったんですけど、今いる友達は、旅に出て30代になってからの友達ばっかりなんですよね。本当、旅に行くことは反対されたことがありませんでした。

記者 バックパッカーするのを止めないお父さんですもんね。心配して欲しいとかなかったんですか?

 心配して欲しいっていうのはなかったです。最初は「お前大丈夫なのか?」って言われたんですが、私がワクワクしながら「大丈夫、大丈夫!」って言ってるので、安心してる部分もあったと思うんですよ。だから反対もせずに、まずは10日間オッケーしてくれて。じゃぁ次は1ヵ月オッケーでしょう、ってなっていきました。
 だって子供が生き生きしていたら、反対しなくなると思うんですよ。反対されても、どう私が生き生きしてるかってところを親に見せるかだと思うんですよね。

記者 なるほど。ちなみに絵美子さんは今、どんな夢やビジョンをお持ちなんでしょうか?

 カンボジア支援がいつまで続くか分からないし、カンボジア人が自立して自分の道を歩けるようになってくれる事が喜びなので、手探りな状態なんですよね。カンボジア人とビジネスをしようという流れになるかも知れないし。今、30人の人達を雇用して、ソーシャルビジネスを始めているんですが、その人達が会社を立ち上げ、そこと取引しようというのがベストだと思っています。だから今は、その予備軍を育てているところです。そして、その子たちがどう生きていくのかっていうのが大事だし、関心ありますね。みんなで笑っている、ハッピーな瞬間が。皆でハッピーになるよ!っていう思いで、NPOもグローブジャングルって名づけました。
 笑顔の子供たち、その背景は色々あるけれど、日本人も同じって思うんです。みんな一緒。みんな頑張ってる。

記者 すごく素敵だと思います。日本人は他の人より何かを持っている事で幸せを感じる、高さの幸せしか分からないけれど、カンボジアの方達はそうでは無いんですよね。

 日本人のちっちゃな物差しでは測れないんですよね。もっと大きな物差しがないと。「へー、そうなんだー。」と思わないとやっていけない事だらけで。「へー」って寄り添わないと始まらないんです。

記者 森さんの「へー」っていう言葉には、深さを感じます。本当に相手の立場に立って寄り添い、考え、行動されている方の言葉ですよね。

 ありがとうございます。

記者 今日は貴重なお時間、本当にありがとうございました。

 ありがとうございました。

森さんに関する情報はこちら!
↓↓↓
◇NPO法人 グローブ ジャングル HP◇

◇NPO法人 グローブ ジャングル facebook


◇森 絵美子さん facebook ◇


 

【編集後記】
今回、インタビューを担当した泊と長尾です。ワクワクしながら、人にとことん寄り添い、道を開かれている森さんのお話を伺い、自然体でチャレンジする楽しさを感じさせて頂きました!これからの更なるご活躍、応援しております!!

---------------------------------------------------------------------------

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?