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「全宇宙から見たら、人生は喜劇である」“株式会社トゥインクル会長”友原弘喜さん

友原さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:兵庫県神戸市
経歴:
安宅産業株式会社
三洋電機貿易株式会社
株式会社フィルムリンクインターナショナル
株式会社ウイングスジャパン・株式会社ウオカーズカンパニー副社長
TEC TEK株式会社副社長・帝国社クリエーティブ局長
株式会社ガイアエナジー副社長〜顧問
株式会社トゥインクル会長
座右の銘:苦あれば楽あり

「人生の岐路に立たされた時に、どれだけリスキーだといっても自分は後悔しない道を取ってみよう。」

記者 今現在どんな夢を持ちなのか聞かせていただいてよろしいでしょうか。

友原さん(以下、友原) かっこよく言えば、ロマンを求めていきたいというかね。死ぬまで世界を放浪しろとそれがおそらくそういう気持ちではいるんですね。かつて私は総合商社に勤めておりまして、それが別会社と合併することになりました。その時にどんな大きな組織であっても、これからの時代は何が起こるかわからない。会社のために今まで働いてきたけれどこれから生きるためには自分のために働かなきゃいかんなというふうに考えが大きく変わったんですね。一流大学を出て一流の会社に入ったら人生は安穏である、という時代はもう終わりを告げたんだなということを痛切に感じました。それからは自分のノウハウを身につけるために頑張るべきだと。次の職場に行ってもそれが結果的には会社のためにも繋がるんだとそういう考え方に変わってきましたね。

そこからクリエイティブの世界に転身したんです。映画のプロデューサーとして。私の周りの50%の人はなんでお前そんなわけのわからん世界に飛び込むんだと、あとの50%は羨ましいねという反応でしたね。
人生の岐路に立たされた時に、自分が後悔しないで済む道を通ろうと考え、どれだけリスキーだといっても自分は後悔しない道を取ってみようということで180度転換して商社からクリエイティブの世界に入ったんです。

記者 きっかけはなんだったのですか。

友原 日本人の精神文化を輸出することが非常におろそかだなと常々商社で海外勤務の時に感じていました。そこで日本の文化を売る活動したいという気持ちが強くなりましたね。それが大きな動機なんだけれども、映画を選んだのはいとこがプロデューサーをやっていたのですが、大衆娯楽文化の中で日本の文化を海外に輸出するような映像製作をしなければと泣かせることを言ってくれたわけですよ、それがきっかけです。

「今までどれだけ会社の看板によりかかって生きてきたか、嫌と言うほど知らされた。」

記者 その中でどんな気づきや変化がありましたか。

クリエイティブの世界に入って思ったことは依って立つべき会社の看板が何も無いこと。つまりは今までどれだけ会社の看板によりかかって生きてきたかっていうところを嫌と言うほど知らされた。一人で生きるって事は自分の看板を作んなきゃいけないということ。過去こういうことやったことがありますといくら人に言ってもリスペクトしてくれないんです。だから今あなた何ができる人なんですかということなんですね。 会社の看板も何もないキャリアも形もない。そんな中でプロデューサーって何やるんだよお前さん、今稼いでんのというとこから始まるわけですね。

記者 厳しいですね。

「全宇宙の中の地球という存在を考えた時に、人間の一生なんて瞬きする暇もないくらい短い。」

友原 プロデューサーの一番の役割っていうのは資金集めなんです。例えば何億という金集めてそれでもって一つの映画を仕掛けて作って、そして収益を上げるというところまでがプロデューサーの務めになるんです。そこに身を置くことによってその映画がコケたらですね、次からは声がかかってこない。完全にこれは自分の実力でやらなければいけない。

滑った転んだは当然ありましたがそこで自分自身を助けてくれたのは、フランスの作家であるバルザックの小説の一つに、

人生は喜劇である

という言葉があります。私自身の感覚としては全宇宙の中の地球という存在を考えた時に、人間の一生なんて瞬きする暇もないくらい短い期間であるわけです。そんな小さな地球で人間が作り上げた決まりやモラルの中で泣いたり喚いたりして人間が一生を終えていく。そうすると辛いことがあっても、あっという間に過ぎ去って次の局面を迎える訳だから悲観するヒマもないんだ。
つまり全宇宙から見たら取るに足らないことを一生懸命に泣いたり騒いだりして引き摺る人間社会っていうのはまさに喜劇ではなかろうかと。いろんな局面でその考え方で対処できたってことありますよね。そういう考えですから家賃も払えなくて居留守を決め込むことがあったりカロリーメイトで1ヶ月過ごしたこともありましたが、それで苦しいとはあんまり思わなかった。むしろ次に来るであろう良い事に備える準備期間なんだと。果して晴れやかな楽しいことがいっぱい生まれてきました。

ハリウッドを基点とした米国、英国、ヨーロッパ、香港とも仕事をして海外との接点を持つといろんな人との付き合いができるわけですね。今でもそうですけど、イスラエルの人間が爆撃にあって大変な時期に、お前元気にしてるのかって電話一本で最近は話ができる。もう年取っちゃって介護が必要なんだけど、社会保険がどうだとかね。あるいはそのアメリカの友人が娘が最近外泊が多くて心配でしょうがないんだよと、どういう風にしたらよかんべって話をね。だからまったくね、人間同士の会話なんですよ。それは英語というコミュニケーションの一つの手段が必要なだけであって人間みんな本質は変わらないわけですよね。それを強く感じることによって人間って皆同じなんだよなと、当然だけど。

「人の喜ぶ顔見るというのはやっぱり一番嬉しいですよね。」

記者 大変な苦難を乗り越えていく中で、素敵なつながりを持たれてきたことを感じます。3年後、5年後の展望をお聞かせください。

友原 うちがやってる乗馬クラブをこうやって続けられるのは、馬という大きな動物に接した時にどんな人間でも、上下の区別なく、みんな純粋な気持ちで接することができるようになるんですね。そこには鎧も兜もないんですよ。そういう喜びの素直な表情を見せてくれるからなのです。
人の喜ぶ顔見るというのはやっぱり一番幸せですよね。そういう意味でこれからもそういうことをね、活動していきたいなという気持ちがあって。馬が与える癒しの効果っていうのが非常に絶大であることはわかっています。うちの馬場でも奇跡的なことがいろんなところで起こっている。そういったことをよりもっと広く皆さんに味わっていただきたいと思うんですね。例えば発達障がい児を持つ母親がお子さん連れてくるんですよ。聞いたらよそでは安全面のことがあるからと断られるわけですね。うちでは何とか馬に乗せてあげようと考えます。お子さん一人では当然乗れませんから両サイドにスタッフをつけます。みんなで馬と一緒に歩きます、乗ってる子は言葉をしゃべれないけれども顔がもうわっと火照ってきてですね。お母さんがすっごく喜んでいて。そういう様を見たらやっぱり乗せてあげて良かったなと、俺たちはこういうことを提供する環境を持ってるんだと、できるだけ多くの人に味わってほしいな。

過去のキャリアがあるわけですから東京に戻ってこいよとかニューヨークで待ってるからとか、そういう話が来るわけです。だけどやっぱりねそれはそれで魅力はあるんですけれども、それ以上に魅力があるのが人間の喜びの表情、これが身近で見れるというのはやっぱりやってよかったな。それを社会にもっともっと発信していくこと。神戸に居をおくわけですから、このクラブはね。だから馬を扱う自分たちの立場から、何らかの形で神戸市の活性化につながる連携ができるんじゃないかと思うわけです。

その試みの第一歩として、行政上の難しい許認可を長年に亘ってクリアして、ハーバーランドのモザイク前広場で乗馬のイベントを始めたんです。効果はてきめんでしたね。港に馬がいると船の上からもやっぱりみんな見るわけですよね珍しくてね。インターナショナルクルーズで来るお客さんが寄ってきてですね、神戸ってこんなこともやるんだってことですね。それで今一生懸命やってます。単なるビルをたてるだけが活性化の目的じゃない、有機的な環境づくりというか、だからそういうことをどんどん進めていこうじゃないかということで各企業やマスコミの協力を呼びかけています。これは是非これからも積極的にやっていきたい。

「若い人たちには機会を見つけて必ず海の外から日本を見てみること。」

記者 最後に、読者にメッセージをお願いします。

友原 通常の日本人では体験していないような環境を経験出来たっていうのは本当に恵まれてると思います。中近東の戦乱の中に身を置き、歴史の一コマの中に自分も現場に立ち会っているっていうなんかそのロマンですよね。やっぱり歴史の中に生きてんだっていうねその感覚を持てるっていうこれはたまらなく嬉しいですよね。

記者 やっぱり経験が人をつくるんですね

友原 日本人はね、人がいいって言ったらそうなんだけどやっぱりみんな高潔すぎる。「能弁は美徳にあらず」は海外では必ずしも適用しない。国際社会の考え方や仕組みといったことを謙虚に学び取る必要がある。その上で日本の素晴らしさを堂々と主張できる日本人にならなければならないんだ。
僕はいつもね、若い人たちには機会を見つけて必ず海の外から日本を見てみなさい、それは大事だよと。どんな犠牲を払ってでもいいからそういう機会があったら海の向こうから日本を見る経験をしたらいいんじゃないって言うんですね。やっぱり海外でも対等にビジネスとしようと思ったら人間同士の信頼感ですよね。これはまず作んなきゃいけないということです。

記者 たくさんの出会いの中で、多くの気づきや発見があり、それが今のご自身の活動につながっていることを感じました。素敵なお話をありがとうございました。

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友原さんの詳細情報についてはこちら

神戸っ子乗馬サークル トゥインクル:https://www.kobetwinkle.com/

【編集後記】

今回記者を担当した長尾・岡田・清水、記事作成を担当した中村です。
時代の変化を感じ、後悔しない道を選択、実力主義の荒波の中で培った人間関係からくる魅力が大変溢れるインタビューでした。ここには載せきれないエピソードもあり、感性あふれるお話をお聞かせくださりました。これからのご活躍も応援しています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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