見出し画像

兄妹心中

ここは難波か 江口の里か
江口の里なら 兄妹心中 心中

兄は二十一 十郎と申し
妹は十八 早苗と申す 申す

兄の十郎が 妹に惚れて
想いのあまりに 病気となりぬ なりぬ

ある日妹が 二階に上がり
兄さん御病気 如何でござる ござる

恋の病を それとも知らず
介抱しましょうか 医者呼びましょか ましょか

俺の病気は 訳ある病気
薬もいらねば お医者もいらぬ いらぬ

せめて一晩 お前のサネを
指でつつけば ケロリと治る 治る

兄さんそれは あんまりですわ
私にゃ定めた 夫がござる ござる

定めた御人にゃ すまないけれど
赤い腰紐 はらりと解いて 解いて

兄さんここよと 指さすところ
入れたところが オソソでござる ござる

やがて噂が 世間にのぼり
哀れ二人は 兄妹心中 心中

国は京都きょうと西陣町にしじんまち
兄は二十一 その名はモンテン
妹十九で その名はオキヨ
兄のモンテン 妹に惚れて

それがつもりて 御病気となりて
三度の食事も 二度となり
二度の食事も 一度となりて
一度の食事も 喉越しかねる

オキヨオキヨと 二声三声
呼べばオキヨは ハイハイと
これさ母さん 何用でござる
兄の見舞いじゃ 見舞いにあがれ

言われてオキヨは 見舞いにあがる
あいのからかみ さらりと開けて
三足歩いて 一足もどり
両手つかえて 頭をさげて

これさ兄さま 御病気はいかが
医者を呼ぼうか 介抱しよか
そこでモンテン 申すには
医者も要らなきゃ 介抱も要らぬ

わしの病気は 一夜でなおる
二つ枕に 三つぶとん
一夜寝たなら 御病気がなおる
一夜頼むぞ 妹のオキヨ

言われてオキヨは ぎょう天いたし
何を言やんす これ兄さまへ
わしとあなたは きょうだいの仲
人に知られりゃ 畜生と言わる

親に聞かれりゃ 殺そと言わる
友だちなんかに はずかしござる
あなたに似合いし 女房もござる
わしににあいの 夫もごさる

年は十九 虚無僧こもんそなさる
虚無僧殺して くれたなら
一夜一夜でも さん三夜でも
末は女房と なりまする

言うてオキヨは ひとまず下がり
髪を結うたり お化粧したり
親のゆずりの たんすを開けて
下に着るのは 白羽二重よ

上に着るのは 黒羽二重で
当世はやりの まるつけおびを
みよにゃまわして はびことむすび
ぽんとたたいて うしろにまわし

当世はやりの 糸かけわらじ
二尺あまりの 尺八もちて
深いあみがき 面体めんていかくし
瀬田せた唐橋からはし 笛吹いて通る

そこでモンチンの 目にとまる
あれは妹の 夫であろう
これを殺せば オキヨはままと
狙いこめたる 六発玉を

はなせばキャーッと なく女の声で
どこのどなたか お許しなされ
言うてモンチン そばにと寄りて
あみがさとりて よく見れば

思いこんだる 妹のオキヨ
妹のオキヨに だまされた
ここで死ねば きょうだい心中
兄は京都の 西陣町で

哀れなるかよ、きょうだい心中

『枯木灘』
“昔から、火の神を産み女陰が焼けて死んだ伊邪那美命を祭った花ノ窟の巨岩は、舟に乗り海から見ると女陰そのものに見えると言われた。”

今も熊野等の碇泊地で船頭や船饅頭が唄う、「所は京都の堺の町で、哀れ悲しや兄妹おととい心中、兄は二十一、その名は軍平、妹は十八、その名はお清、兄の軍平が妹に×て、それが病のもといとなりて、ある日お清が軍平眼元にもしもし兄上御病気は如何、医者を迎うか薬を取ろうか、医者も薬も介抱も入らぬ、一夜頼みよ、これお清さん、これこれ兄様何言わさんす、人が聞いたら畜生と謂わん、親が聞いたら殺すと言わん、私に一人の夫がごんす、歳は二十一、虚無僧でござる、虚無僧殺して下されますりゃ、一夜二夜でも三八夜でも、妻となります、これ兄上よ。(後略)」

南方熊楠『月刊不二』三号

伊予の松山兄妹心中
兄は二十でその名はキヨシ
妹十九でその名はおチヨ
兄は二階で英語の勉強
妹座敷でお針の稽古

ある日妹は2階へあがり
もうし兄さまご病気いかが
わしの病気はゆえある病気
医者も看病も薬もいらぬ
いとしお前とひとはだあげりゃ
わしの病気はたちまち治る

きいて妹はびっくり仰天
もうし兄さま何云わしゃんす
人に聞かれりゃ畜生と云われ
親に聞かれりゃ勘当せらる
わたしゃ似合いの男がござる

道後湯の坂笛吹いて渡る
もうし兄さまこの虚無僧を
殺してくれれば思いのままよ
殺してくれれば思いのままよ

そこで妹は座敷へおりて
下に着たるが白ちりめんで
上に着たるが黒ちりめんで
一尺八寸尺八もって
夜の松山流して歩く
夜の松山流して歩く

伊予の松山夜はふけわたり
おりから聞こえる尺八の音

ぱっときらめく刃の光
あわれ虚無僧はばったと倒る
ひょいと顔見りゃ妹じゃないか
かえす刃でのど突き果てる

これぞ松山兄妹心中
これぞ松山兄妹心中

伊予の松山兄弟心中
兄は二十一その名は秋男
妹十八その名はエミ子
兄の秋男が妹にほれて
恋し恋しが病となりて
ある日妹が見舞にあがる
これさ兄さま御病気いかが
医者を呼ぼうかお薬買おか
〈以下略〉(城辺町)
この「伊予の松山兄弟心中」には他にも多少異なる文句のものがあって、県内だけでなくかなり広汎にひろまった形跡があるが、その成立や伝播の状況については、はっきりしたことはわからない。一時忘れられたようになっていたが、昭和二十年ごろまでは旧制高校生の間などに歌いつがれており、小松左京が短編『悪霊』に書いて記紀の軽太子と衣通姫の話との関連を説いたりしたので、また関心を集めたものである。

愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

浪華町なら大阪町よ
大阪町なら兄妹心中
兄は十郎で妹はお菊
お菊十八兄さははたち
 
兄の十郎が妹に惚れて
いとし恋しの病の床に
ある日お菊が見舞いに見えて
これさ兄上病いはいかに
 
わしの病はわけある病い
医者もいらねば薬もいらぬ
せめてお前のお腹の上に
乗れば病いはぴたりと治る
 
お菊兄さのためだとあらば
肌身合わすも死もいとやせぬ
お菊痛かろ兄さはよかろ
お菊泣くなら兄さも涙
 
兄と妹じゃ夫婦になれぬ
世間悪いか二人の罪か
雪の降り積む浪華の町に
紅が散る散る兄妹心中

久世光彦『花迷宮』

国は京都の西陣町で
兄は二十一 その名はモンテン
妹十九でその名はオキヨ
兄のモンテン 妹に惚れて
これさ兄さま御病気はいかが
医者を呼ぼうか介抱しようか
そこでモンテン申すには
医者も要らなきゃ介抱もいらぬ
わしの病気は一夜でなおる
二つ枕に三つぶとん
一夜寝たなら病気がなおる
一夜頼むぞ 妹のオキヨ
言われてオキヨは仰天いたし
何を言いやんすこれ兄さま 
わしとあなたは兄妹の仲
人に知られりゃ畜生と言われる
実は私にゃ 男がござる
年は十九で虚無僧なさる
虚無僧殺してくれたなら
一夜二夜でも さん三夜でも
末は女房となりまする
兄のモンテン 虚無僧殺す
深い編笠その下に哀れなるかや
妹のオキヨかねて覚悟の妹のオキヨ
兄のモンテン妹を殺す
思いこんだる妹のオキヨ
妹のオキヨにだまされた
ここで死ねば きょうだい心中
兄は京都の西陣町で
哀れなるかよきょうだい心中

山崎ハコ


いれて❤️