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おエロ日本橋

〽お江戸日本橋七ッ立ち 初上り
 行列揃へてアレワイサノサ
 コチャ高輪夜明けの提灯消す
 コチャエ コチャエ
〽恋の品川女郎衆に 袖引かれ
 乗りかけ御馬おんまの鈴が森
 コチャ大森細工の松茸を
 コチャエ コチャエ
六郷ろくごう渡りて川崎の 万年屋
 鶴と亀とのよね饅頭
 コチャ神奈川急いで保土ヶ谷
 コチャエ コチャエ
〽痴話と口説を品濃坂 戸塚まへ
 藤沢寺の門前で
 コチャ止めし車を綱で曳く
 コチャエ コチャエ
馬入ばにゅう渡りて平塚や 女郎衆は
 大磯小磯の客を引く
 コチャ小田原相談長くなる
 コチャエ コチャエ
〽登る箱根のお関所で チョとまくり
 若衆のものとはうけとれぬ
 コチャ新造じゃないかと一寸ちょと三島
 コチャエ コチャエ
〽酒も沼津つづみ 吉原
 富士の山川白酒を
 コチャ姉さん出しかけ蒲原
 コチャエ コチャエ
〽愚痴を由比だす薩埵さつた坂 馬鹿らしや
 からんだロ説を興津
 コチャだまして寝かして恋の坂
 コチャエ コチャエ
江尻突かれて気は府中 はま鞠子
 ドラを宇津の谷十団子
 コチャ岡部で笑はば笑はんせ
 コチャエ コチャエ
藤枝娘はしほらしや 投げ島田
 大井川いと抱きしめて
 コチャいやでもおうでも金谷せぬ
 コチャエ コチャエ
〽小夜の中山夜泣き石 日坂
 名物蕨の餅を焼く
 コチャ食うて急いで掛川
 コチャエ コチャエ
袋井通りて見附られ 浜松
 木蔭で舞坂まくりあげ
 コチャ渡しに乗るのが荒井(新居)宿
 コチャエ コチャエ
〽お前と白須賀 二川吉田屋の
 二階の隅で初の御油
 コチャお顔は赤阪 藤川
 コチャエ コチャエ
岡崎女心郎衆のちん池鯉鮒 よくおいで
 鳴海染着ての舟
 コチャ焼蛤やきはまぐりなど一寸桑名
 コチャエ コチャエ
四日市より石薬師 願をかけ
 庄野わるさを直さんと
 コチャ亀山寺をふし拝む
 コチャエ コチャエ
〽たがひに手をとり急ぎ旅 心
 坂の下から見あぐれば
 コチャ土山通して日を暮らす
 コチャエ コチャエ
水口(みなくち)びるに紅をつけ 玉揃ひ
 どんな石部なお方でも
 コチャ色には迷うてぐにゃぐにゃと
 コチャエ コチャエ
〽お前と私は草津ゑん ぼちゃぼちゃと
 夜毎についたる伯母ガ餅
 コチャ矢走やばせ大津で都入り
 コチャエ コチャエ

最新流行歌民謡替え歌
艷笑歌謡全集

「コチャエ節」

〽お前はどん(鈍)であんどん(行燈)で
 若い衆|《しゅ》に かきたてられて とぼされて
 コチャかきたてられてとぼされた
 コチャエ コチャエ

お前はやかの地蔵さん 塩風にそれそれえ お顔が真黒ろけ こちゃお顔がまっ黒け それそれえ かまやせぬ
(宍粟郡山崎町の盆踊唄) 
やかの地蔵は飾磨郡旧八木村八家にあり、沖へ突出した堤防の端に祭られていた。
・・・・・・・「コチャエ節」の替え唄で、元唄は「お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に喰われ 七つの鐘の鳴るまでも コチャ七つの鐘がなるまでもコチャエコチャエ」といわれる。天保の初めに流行した取で、そのころは「羽根田ぶし」といった。その後「日本橋をば七つ立ち 初のぼり行列揃えてこれわいさ コチャカマヤセヌ コチャエイ コチャエイなどと替え唄が作られ、「コチャエ節」 とよんだらしい。これも大へんバレ唄の多い民謡で、明治初めになって三度目の流行があり、東海道五十三次の女郎品評道中唄まで作られた。「お江戸日本橋七つ立ち 初上り行列揃えて アレワイサノサコチャ 高輪夜明けの提灯消すコチャエ コチャエ」は前の替え唄で、このあたりはまだキレイだが、あとは大へんな道中になる。「お前と白須賀 二川の 吉田屋の二階の隅で初の御油 コチャ お顔は赤坂 藤川へ コチャエ コチャエ」が、恐らく「八家の地蔵さん」の元唄だろう。ただし「コチャエ節」は明治二十七、八年ごろに四度目の流行をし、いろいろの替え唄が、各地方で作られた。 「八家の地蔵さん」は「コチャエ節」だけでなく、明治末期に流行したオヤまっ黒けのけの「まっ黒け節」と複合している。これも大へんバレ句の多いもので、ものすごい替え唄がたくさん作られた。

『民謡・猥歌の民俗学』赤松啓介


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