イーリアス1

「古典は古びない」とみんないうけれど。──ホメロス『イーリアス』上巻(呉茂一訳、平凡社ライブラリー)

 古典は古びない、現代にもそのまま通用する、などと言われ、それは必ずしも間違ってはおらず、そのとおりなこともままある。
 のだけど、古典のおもしろさが「現代にもそのまま通用すること」だと思っていたら、古典のおもしろさのかなりの部分を取り逃してしまうとも思うのですよ。

 本稿の題は、綿野恵太さんの快著『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)のもじりです。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

ホメロスやギリシア悲劇を読む前に

 本作をはじめ、トロイア戦争ものの古典文学をを読む前に、トロイア戦争叙事詩環の概略を松田治『トロイア戦争全史』(講談社学術文庫)で押さえておくとラクです。

トロイア戦争全史

 というのも、『イリアス』はトロイア戦争の終わりのほうの一部分(時数週間)を記述したものなのだ。
 戦争の由来や膠着状況の部分はないし、オデュッセウス発案の有名な「トロイの木馬」とそれをきっかけとするトロイア陥落・戦争終結の部分もない。戦争の途中ではじまって途中で終わるのだ。

 ヴォルフガング・ペーターゼン監督の映画『トロイ』(2004)は観ていないけど、なんでもオデュッセウス(ショーン・ビーン)発案の木馬にアキレウス(ブラッド・ピット)が乗り込むらしい。

トロイ

 もともとのアキレウスの性格上このような騙し討ちは嫌いそうだし、そもそも古典のトロイア英雄叙事詩環では木馬が建造されたとき、アキレウスはもう戦死していた。

 具体的に言うと、木馬の話は作者に諸説ある『小イリアス』(紀元前8-7世紀)とその後日譚であるミレトスのアルクティノス作『イリオスの陥落』(紀元前8-7世紀)にまたがって存在し、これは作中時間からすると『イリアス』の直接の後日譚であり『小イリアス』の前日譚でもあるミレトスのアルクティノス作『アイティオピス』(紀元前8-7世紀)に語られたアキレウスの死よりもあとの話なのだ。

トロイア戦記

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