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未来を予測する意味があること、ないこと

未来のことがわかったらテストなんか楽勝だなーとか、今日の株価が昨日分かっていれば儲かったのに!とか、未来を予測したいという思いは強いと思いませんか?予測だけではなく、私の場合は明日新宿に行こうとか、溜まっていた宿題は明日からやろうとか、日々未来について計画を立てて過ごしているように思います。どうやら未来を予測すること自体が好きなようです。

明日突然雨が降るかどうかもわからないのに、未来を予測する意味はどこまであるのでしょうか。ビジネスにおいては一定の意味があると言われています。元USJのCMOで、業績を劇的に復活させた森岡毅さんの共著である「確率思考の戦略論」ではビジネスの成否は確率で決まっていて、確率に及ぼす要素をある程度は操作可能であるとしています。例えば、あるスナック菓子があるとします。競合となるお菓子は沢山あるので、このスナック菓子の売れる金額は「多くの選択肢から選ばれる確率」から導き出されます。この確率は、広告などを通じてスナック菓子の知られている率やそもそもお店に置いてある率など多くの要素の掛け算で出来ています。つまりそれぞれの要素に分解してその度合いを数値化することで「ある程度は」売上を予測でき、それを元に収益や事業計画など戦略を事前に立てていくことが出来るのです。ここで重要な点は未来は「完全に」予測できないが、「ある程度は」当てられる点です。

一方で不確実なことが起こりやすい現代では、予測することよりも何かあった時にそれに耐えられるだけの頑健さの方が重要だという指摘もあります。ブラック・スワンなどの著書で著名なナシーム・ニコラス・タレブさんは著書「反脆弱性」で、あれこれ計画するよりも代替案などのオプションを持っておくことや、未知の選択に対してはランダムに選んだ方がマシともしています。完全に合理的な世界はあり得ないし、小さな予測が当たっても時々急に起こる大きな変化はそうした計算の外にあり予測することは難しいと指摘します。しかし昔から使われているモノやコトは概して未知の変化に強い結果であるため、論理で考えるよりも判断材料としては有効だとしています。これをリンディ効果と呼びます。今だに教訓として残っている諺や古典などが有効に感じるのはこの効果によるものと言われます。

ある程度の予測はビジネスでは「意味がある」ものの、大きな変化には適用できず予測は「意味がない」という2つの異なる視点を紹介してきましたが、どちらが正解ということではなく、どちらも正解なのだと思います。近い個々の未来はある程度予想できるし、少し先の大きな未来のうねりは予想しづらい、ということなのではないでしょうか?明日の予定を立てるのは効率的にスケジュールを組んだりするのに有効ですが、3年後のキャリアプランを細かく立てても仕事はその通りには進みません。むしろ仕事に対してどういった態度で取り組むのかという方がよい結果をもたらすように思います。

つまり未来を予測することは意味があり、意味がないのではないでしょうか。

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