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【二分で読める小説】君の前世はきっと蛇だよ

 彼女は二つも年下なのに、わたしのことを君と呼ぶ。おしりの大きなお姉さん、と呼ぶこともある。おしりの大きなお姉さん。どきりとするけれど、彼女みたいに仕事のできる後輩からそう呼ばれるのは女性として愛されているようで、悪いどきりではない。
 君の前世はきっと蛇だよ。お姉さん。
 蛇? と聞き返した時、車体が揺れた。たぶんヒトデを轢いた。ヒトデじゃないならナマコかサンゴの破片か。海の底にはいろんなものが落ちていて、ドライブには不向きだ。でも、ドライブには向いてない場所に来なければならなかった。
 彼女がハンドルを握りなおす。小指、薬指、中指、人差し指、と連動するみたいに一本ずつ動いてハンドルに絡みつく。そうやってなめらかに動く指がなんだか蛇っぽい。指先に施されたエメラルドとゴールドのメタリックなネイルも、骨っぽくないのに細い腕も、しなやかに伸びる足も、ふつうの人間とはちょっと違ってる。見た目に違いはないけれど、雰囲気がなんだか動物っぽい。それもうさぎとかライオンみたいにもふもふしたやつじゃなくて、爬虫類みたいにてらてらぬらぬらしたようなのだ。
「あなたのほうがよっぽど蛇っぽいよ」
「どんなところが?」
 ハンドルをいじる時の指使いとか、車の窓を楽々潜り抜けられそうな腰回りとか。でも、彼女の肉体のことを指摘することはできなくて、そうだなぁ、とひとまずごまかす。わたしのことを「おしりの大きなお姉さん」と呼ぶ彼女に、そんな気遣いが必要か、と言われれば迷うけれど、これは気遣いじゃなくて気恥ずかしさの問題だ。
「えっと……仕事してる時、目がぎらぎらしてるからかな」
「それは、集中してるから。ねぇ、もしかしていやだった? 前世が蛇って言われるの。おねーさん。お姉さんは蛇がきらい?」
「好きでも嫌いでもないけど、わたしみたいにおしりの大きな蛇はいないよ。たぶん」
「……褒めてるつもりなんだけどなぁ」
「何を?」
 彼女は黙って前を見つめていた。退屈そうに、人差し指と中指でハンドルをとんとん叩いている。仕事中にもよくこうやっている。向かいの席で彼女がそういう手遊びをはじめるたびに、わたしは作業を中断してその指先をじっと見てしまう。彼女のことを見ている間、彼女はわたしを見つめ返して来ない。けれど彼女から目をそらした途端、彼女の視線がわたしの方にくるのがわかる。見つめていたぶんだけ、見つめ返される。見られる側より見る側になりたい。だから困る。困るから、ちょっとやっかいな案件の相談に行ったりするけれど、彼女にかかればものの数分で解決してしまい、わたしの無能さをさらけ出してしまうだけだから、余計に恥ずかしくなる。
 彼女は会社にいる誰より仕事ができて、体が華奢で、運転がうまい。そしてなにより、わたしに優しい。
「ねーえ、お姉さん」
「うん?」
「外の景色を見たらいいのに、あたしの運転が不安?」
「ううん」
 誰も来ないところまで連れてって、とお願いしたのは、わたしだ。誰も来ないところならたくさんあるよ、と彼女は言った。だから「知ってる男がいないところ」って答えた。そうして来たのが海の底だ。いつも的確に人の気持ちを読んで、正確な仕事をこなす彼女らしい選択だった。赤いレンタカーは深度が深くなればなるほど黒くなり、海底の青に溶け込んで行く。海の中でもっとも早く消えるのは赤。彼女のことだからそこまで考えて車を選んでいるような気がする。職場以外ではほとんど会わないのに、彼女は、わたしが何をどうして欲しいかよく知っている。
「もっと遠くまで行くよ、いいね?」
 速度が上がり、車の右タイヤがわずかに浮き上がった。排気口から漏れるガスが後ろの方でぶくぶく唸り、クラゲみたいに大きな泡になって漂っているのがバックミラーに写っていた。深度がましたのか、水圧で窓ガラスが軋む。つられるように、耳の奥がきゅっと締まる。耳抜きしなきゃ。わざわざ鼻をつまむまでもない。さっきから何度も唾を飲み込んでいるから、自然と空気が抜けて行く。今日はやけに唾を飲み込みたくなる。舌の位置とか、手を置く場所とかがやたら気になる。
 海底を走る車内は暗く、自分の手の甲が白く見えた。彼女の指先に施されていたゴールドとエメラルドのネイルは、いまや真っ黒だ。こんな色じゃなかったはずなのに。進めば進むほど、本当の色がわからなくなっていく。
「外、綺麗なのに。魚もいっぱいいるよ。せっかく海の底まで来たのに、景色、楽しんでないでしょ」
「何かお話して欲しい」
「お姉さんがそうやってねだるから、前世の話をしようとしたのに」
「わたしの前世はなんで蛇なの」
「丸呑み得意でしょ。よく考えずに、なんでもかんでも、まるっといくのが」
 なんだそれ。彼女はわたしのことを馬鹿にしたりけなしたりはしないから、これもきっと悪口じゃない。度胸があるってことだろうか。彼女の褒め言葉は婉曲的で、わたしにはいつも届かない。
「そういえば、蛇がごはん食べてるところって見たことないな」
「あたしはさ、ガムでもなんでも、口の中にいれたら、ずっとずっと大事に噛んじゃうタイプなんだ。だから、お姉さんみたいにまるっとなんでも飲み込めちゃう女のひとをみると、いいなって思うよ」
「そう?」
「すごくいい」
「なんだか、ちょっと苦しくなってきた」
「水圧かな? それとも、暗いのが怖い?」
「わからない」
「海の底が怖いなら、左手を貸してあげる」
 差し出された左手を掴む。厚みのない手のひらに触れると皮膚のすぐ下にある骨に触れた。スクエア型に切りそろえられた爪は魚の鱗みたいに薄く艶やかだ。毛の生えていない、手入れの行き届いた女の手。
「指輪はしてないよ。知ってるでしょ?」
「そんな、確認してない、違うよ」
 彼女の指の付け根を眺めていたわたしは、声を荒げた。彼女に恋人がいるかどうかは知らない。社内でそういうことを聞くとセクハラになりそうで触れられない。だから、本当は特定のパートナーがいるのに今日は指輪を外して来たのか、それとも、指輪をくれるような相手はいないということなのか。どういう意味で「知ってるでしょ?」と尋ねられたのかわからない。
 もし、実は彼女に特定の相手がいたとして。会社の女の先輩をドライブに連れ出すのにわざわざ指輪を外すだろうか。変だ。いやでも、海の底に行くとなったら、外すのかもしれない。ここで失くしたものは絶対に二度と見つからないから。

「おしりの大きなお姉さん」
 なに、と答えると、彼女は唇をつんと突き出しながら小さく笑った。
「……って呼んでるけど。LINEの名前も『おしりの大きなお姉さん』で登録してるけど。でもね、他の誰にも呼べないような呼び方でお姉さんのこと呼びたかっただけで、まだ、お姉さんのおしりちゃんと見たことないんだ。あたし」
「会社にいるときはだいたい椅子に座ってるしね」
「そうそう。だから、見たこと、ないの」
 彼女がわたしの方を向いた。今日、初めて目があった。海の底で見る彼女の目は金色に光っていて、深度の深いところでも海に負けないほど強い眼光に身がすくんだ。
 窓の軋む音が小さくなり、排気口から水中へ漏れる空気の音がやわらかになる。車の速度が落ちてるみたいだ。
 海には信号機がない。細やかな砂地でできた道がひたすら続いている。スピードを出しすぎると砂を巻き上げてしまうから、時速30キロくらいでゆるゆる走るのが定番なのに、彼女はずっと60キロオーバーで走っていた。そのメーターが今は25を下回っている。このままだと止まってしまう。止めないで、走って。

「前向いて、走って。サメがいるよ」
 そう言って急かすと、彼女は軽くアクセルを踏んだ。右手一本でハンドルを軽くきり、海底から突き出した岩を軽く避けながら車を走らせていく。そばを泳ぐ海の生き物たちは車を避けて逃げて行く。
「いないじゃん、サメなんて。やっぱり見てないんだね。外の景色」
 彼女はフロントガラスの向こうを見つめている。鼻が高くてうらやましい。眉毛もちゃんと生えている。わたしみたいに抜きすぎてハゲたりしていない。気の抜けた口元から八重歯が見え隠れしているのを見つけて、怯えた。彼女に差し出されたまま、大事に握っていた左手を両手で包み込む。それから軽く持ち上げて口元へ運んだ。唇を押しつける。柔らかな肌に触れると、自分の唇がカサつきひび割れていることに気づいて切なくなった。
「ねぇお姉さん」
 彼女に何か言われる前に、彼女と目があう前に、いっ、と左手の甲を噛んだ。少し強めに歯を立てる。けど、彼女は前を向いたまま、相変わらず少しだけ八重歯を見せて微笑んでいる。
「ねぇ、お姉さんは、最近、男の人に、そうやって手を噛まれたの?」
 違う。全然、全然そういうのじゃない。飄々とした顔をしている彼女がとたんに憎らしくなって、もっと強く噛んだ。怯えからでも牽制からでもなく、苛立ちを込めて歯を立てると皮膚から塩の味がした。窓のすぐそばでくぷくぷと空気の破裂する音がする。海水が入って来てるのだろうか。もう、帰れないかもしれない。帰りたくないと思う自分もいる。でも素直にそう伝えたら、彼女はきっと困惑するだろう。だからじっと、左手を噛んだままでいた。何もできないお姉さんだと、思われるのが何より怖い。
 車体が浮いた。大きな生き物の上に乗り上げたのかもしれない。わたしには見る勇気がない。うわぁ、と歓声をあげる彼女を横目に、そっと顎に力を込めた。

 
 


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いつかまた本が出せたらいいな、と思いながら仕事の合間に書いています。応援していただけると励みになります。

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ちおる

『泡をたたき割る人魚は』とか『遅刻魔クロニクル』とか書いた

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