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小さい頃 その2|私と家族 〜祖母の100年〜

みなさまに、おはようございます。

あ、お正月ですね。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて。

私は毎朝仏壇で「おつとめ」をしています。近頃も田舎のお婆さんといえば「おつとめ」をなさるんでしょうか。

ろうそくに火を灯します(ライターが難しい)。線香にその火を移して線香立てに立てます。それからチーンと鳴らして、手を合わせ、お経を一通り読みます。そして終わったら、ろうそくの火を消します。

というわけで、小さい頃のお話の続きを。

私は、野上町(当時は山野上村)の家に住んでいました。20年ほど前に藤原家の墓参りに連れて行ってもらったことがありますが、野上町に行ったのはそれが最後です。

その家は父の実家だったのでしょうか、私たちのほかにお婆さんが1人いたように思います。父の母、私の祖母でしょうか。

家の思い出は今それ以外に思い出せませんが、近くに小学校がありました。今の野上小学校です。まだ入学していませんでしたが、時々遊びに連れて行ってもらったのが楽しかったのを何となく覚えています。誰とどんな遊びをしていたのでしょう。

早くに父を亡くして、突然母子3人となった私たちは、母の実家に引っ越しました。

ここで問題です。その母の実家は何町にあるでしょうか?
よく読んでくださったらわかると思いますよ。

正解は、青野町です。母の実家は、実は今私が住んでいる青野町、しかも同じ集落にありました。「オオクボノウエ」という屋号でした。いまはもうすっかり竹藪になっています。

母の実家はすっかり竹藪になっているのに、私がなぜこの集落に住んでいるのでしょう。それについてはだいぶん後でお話しすることになるでしょうね。

え、もう9時ですか?
あまりお話が進みませんでしたね。
じゃあ、まあ、休ませてもらいましょう。

おやすみなさい。

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