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経営するという覚悟、働いていただくという謙虚

能登にある百楽荘という旅館で育った。

親父は、婿として旅館に来て、若くして代表取締役になり、団体旅行から個人旅行へシフトしていく旅館業界激動の時代を、カツカツのキャッシュを回しながら、百楽荘という旅館を守り抜いた。

経営するという覚悟

親父は、とにかく不器用だ。いつも無愛想にしてるし、わがまま極まりない。ITに疎いので、たまにFacebookにログインすると、僕の写真を全部いいねするので、通知が12件くらい溜まってて、何事かと思う。

小さい頃、その親父の背中を見て、「経営するという覚悟」を学んだ。

親父は、どちらかというと、いつものんびりして、バリバリ働くビジネスマンという感じではなかったので、「ちゃんと働いてんのかな?」と小学生の頃はいつも思っていた。

古い旅館だったので、料理場から煙が漏れて、火災報知器が鳴ることがたまにあった。ある夜、布団に入ってから、火災報知器が鳴った時「また、いつものね」と僕は眠ろうとした。

そしたら、親父は必死の形相で飛び起きて、駆け出していった。無事を確認して戻ってきた時の親父の心から安心した顔を見て、「社長ってすごい。親父すごい」と驚いたのを憶えている。あの時の、必死の形相と安心した顔が僕の経営者のイメージだ。

最終責任を負うというのは、それほどに、人間を追い詰め、そして、成長させるのだと思う。

働いていただくという謙虚

親父は、旅館の経営を譲り、何と60代でスタートアップを立ち上げた。

東京に出てきた時、能登に帰省で帰った時、喜々として、和平商店の未来について話す。

「名古屋のお好み焼き屋と取引始まってん!」
「シンガポールでちょっと売れたぞ!」
「くみこ(長女)が補助金取ってくれたぞ!お前、50万円のキャッシュがどれだけすごいか分かるか?」
「お前も、世界行かんかいや!」

銀行からも借り入れをして、工場を立て、小さいながらも、ちゃんと経営している。本当に尊敬するし、いつも先を行かれて悔しい。

そんな親父が、パートのおばちゃんの人の話をしている時に、突然ボロボロと涙をこぼし始めた。

月に6万円とか7万円とかしか払えんけど、朝から晩まで一生懸命やってくれとる。あの人達には、一生頭がh&x"%'H(泣き始める)

親父の涙は、祖父のお葬式とこの涙の2回しか見たことがない。「実の母親が死ぬよりも、パートのおばちゃんの仕事に対して感情が高ぶるのか...」と衝撃を受けた。

「お金を払ってやっている」という驕りはそこには微塵もない。「働いていただいているという謙虚」だけが、あの涙には宿っていた。

覚悟と謙虚を目一杯詰め込んだ親父にいつか追い付きたい。

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