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3年経った マスク任意のことを書いてみる

マスクが任意から任意に変わって10日が経ちました。
私の周りでも、初めの1週間はそれまでとほとんど変わりなくみんな顔を覆ったままでした🙄

今週になって、桜の開花も伝えられ、ちらほらとお花が咲くように、素顔の方を見かけることも「ちらほら」出てきました。
桜も素顔もやっぱり急には「満開」にはならんのですね🌸

通ってるジムからは「13日から【任意】になります。着脱に対して圧力をかけるような行為はやめましょう。ちなみにスタッフは使用を続けます」と通達がありました。
「任意になって」初めて行った先週の木曜日。ロッカールームもスタジオ前も誰も素顔の人はおらず・・・
╮(´-ω-`)╭ヤレヤレ付き合ってられません、私は素顔でヨガやら筋トレをしておりました。
一瞬「アホらし〜もうジムやめちゃおうかなぁ」という思いが頭に浮かんだのですが、自分の体調を整えるのに役立ってるのは事実なので、まあ今まで我慢してたんだし〜と、もうちょっと様子見ることに。
今週、水曜・木曜と行ってみたところ、本当に数名ですが素顔の方が増えていて、ちょっと嬉しく感じました🎶

そうやんね、もう3年もあんな状態に疑問すら持たずに、言われる通り「ルール」を守った人たちだもん。
『任意になったけど、完全に自由じゃないからね』みたいな曖昧な提案をされて戸惑ってるのがアリアリと伝わってくる。

その心をちょこっと考えてみるために、3年間を簡単に振り返ってみようかな〜と思います。


今の感覚「え?どゆこと?🙄」な感じ?

権威のあるお医者さんや専門家と呼ばれる人たちが、あれほど声高に毎日呼びかけていたことが、なんの検証も振り返りも報告もないまま「なんか知らんけど、まあ任意でいいんじゃない?」って感じになった現状。

そりゃそこ(権威)を拠り所にしていた人たちは「え?どゆこと?」って思っちゃいますわな。

ショッピングセンターやスーパー、駅の構内や電車やバスの中で毎日毎日「感染拡大防止のため〜お客様と従業員の安全安心のため〜」と刷り込みをやられていたわけです。
仕事に行けば職場や取引先、お昼時間になれば飲食店でもそれらはもっと強い圧力で続いていたんだろうと思います。

初めはちょっと疑問に思った人がいても、あれを毎日聞かされていたら、上司や同僚からずっと言われ続けていたら、だんだんと洗脳されていっても仕方ないんじゃないかなと感じます。それぐらいひどい情報圧でした。

そして3年の月日が流れる間に、ワクチン接種とそれに伴う割引などの謎な仕組みも作り込まれ、どんどんと考えないように追い込まれていきました。
ちょっと立ち止まるとわかると思いますけど、ワクチン打ったら商品券がもらえたり、旅行が割引になったり、車が当たったりするって、絶対おかしいですからね・・・ほんと。

この段階になると「もう考えない方が楽でいい」といったムードが大勢を占めていきます。そして反発している人たち(素顔だったりワクチン未接種だったり)や、それらの危険性を訴える人たちは「なんか知らないけど、反抗する変な人たち」として扱われることになっていきました。うーん不本意。


世界中各国では色々と情報開示がなされている中、日本はまだまだ遅れています。情報は明かされず、大衆はそのことにすら氣付かず、時間だけが過ぎていく。歯痒いことです、本当に。

そうしてなぜかここにきて、3月13日に「マスク着脱は個人の任意」という話になったわけです。
一説には「月曜で大安だから」みたいな話もあったりしますけど、ウイルスや病気が「験を担ぐ」訳もなく・・・謎だらけですね、はい。

以上、超簡単に3年間を振り返ってみました。


今回はマスクに絞って話を続けます。
具体的に「意味ないことなのでやめます」とか「害悪なので禁止です」って言ってもらいたいんですよね、専門家に。そういった”後ろ盾”があれば大手をふって素顔になれるのに、って思ってるんじゃないかなと感じます。

え〜、なんで自分で判断できないの〜?ってことなんですが・・・

それはとても難しいと思います。なぜかというと・・・
マスクが有効だって”権威側”に言われ、それを「是」として行動してた人たちが、権威側が大した説明をしていないこのタイミングで素顔になることは『自分の判断が間違ってた』もしくは『信じていたものが違ってた』を認めることになるからです。


「ずっと信じていたものをそう簡単に手放せるか!」の氣持ち

物質には「慣性の法則」ってものがあるって、遠い昔に習いました。

「慣性の法則」
ニュートンの運動の第一法則。物体は外力の作用を受けない限り、静止または等速度運動の状態を続けるというもの

コトバンク:慣性の法則より

同じことが、心や氣持ち、感情にも起こるのではないかなぁと感じています。人は心地よい場所を見つけると、ずっとそこに居たいと思うもの。
卒業や入学、就職や結婚、退職など、環境が変わる事柄は多々あって、それが良いこと/ポジティブなことであったとしても、人間にとってはストレスになるわけです。

今回の3年間のはじまりは「謎の未知のウイルス」で、それが引き起こす事柄が「世界中で蔓延」し「人が亡くなる」という恐怖であり、そうして平常心を奪われてしまった人たちを情報操作することは割と簡単だったのではないかと推測します。


3年間は過ぎて仕舞えばあっという間に感じます。
それでも毎日の積み重ねとしてはとても長い時間です。
その長い間、自分が「騙されていた」もしくは「間違っていた」と思うのは人にとってもはとてもとても辛いことです。

だから「まあなんとなく任意にしまーす」ではなく

『すみません!”マスク”に意味ないのに(もしくは害があるのに)押し付けてました!我々嘘をついてました🙇‍♀️ごめんなさい!!』

ぐらいの強い言葉での謝罪がないと「じゃあ騙されても仕方ないよね」を心に落とし込める人は少ないんじゃないかなぁと感じます。


最後に・・・

noteを書き始めた頃に、つらつらと思いを綴った記事を貼り付けて終わります。
「なんかこの記事のために書いてたっぽい氣もする🙄」
タイムパラドックスの不思議。


読んでくださり、ありがとうございました。

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