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【企画参加】 編み物の思い出あれこれ

こういうことに参加するのは初めてで、うまく出来るかどうか?ですが、お題が編み物だったので、やっぱり書きたいから書いちゃいます🎶

suzuさんの記事でこの企画を知りました。

編み物の話なら書けるかなぁと、参加しちゃおう🎶と思い立ち。


編み物の思い出あれこれ

私が子どもの頃、服のほとんどは母の手作りだった。
夏服は洋裁、冬のものは毛糸の編み物。

狭い家になぜか「家庭用編み機」なるものもあって、冬になると中細の毛糸の束(カセ糸というらしい)を買ってきた母に
「ちょっと手を貸して」
と言われて「毛糸玉作り」の手伝いをさせられたものだった。


母が編んでくれたものは、小さな頃は「腹巻き」や「毛糸のパンツ」
大きくなってからはセーター、カーディガンやベストなどなど。
それぞれ機械編みだったり手編みだったり。

そんな風に身近に編み物をする人がいる環境があり、余り毛糸をもらってはいろんなものを作るようになった。

初めての作品は小学校の高学年の頃に作ったマフラー。

カナリアカラーの黄味かかったオレンジ色の毛糸をもらって、自分のマフラーを作ってみた。

初めは棒針編みに挑戦した。
けれど子どもの手には長すぎる2本の編み棒。
昔の編み棒は竹で出来ていて、先端がかなり尖っていた。
それが指先に当たってチクチクと痛かった記憶。
しかもマフラーなので、編み棒の真ん中の12、3センチを使うだけで、いかにもバランスが悪い。
糸の引き具合もよくわからなくて、目がゆるゆるで不揃い、途中で目を落としてしまう・・・うーん、何度も編み直すがどうにも上手くいかない。

棒針編みは渋々諦めて、かぎ針編みに変更。
今度はかぎ針を通す場所がわからずに四苦八苦する。

途中で目数が増えたりしつつ、不細工ながらも、それでもなんとかマフラーの長さになって終了。不細工だったけれど首に巻いちゃえば氣にならなかった😅

三つ半離れた姉は、結構器用に棒針を使いこなしていて、それがとても悔しくて・・・(笑)
その悔しさが原動力になって、中学生になる頃には棒針編みも出来るようになった。

今だったら、動画サイトで色々な作り方を「見て学べる」んだろうけれど、当時は本しかなくて、二次元で図解されたものを自分の目の前に3Dで再現するのはなかなかに大変だった。

それでもマフラーやベストを作ったり、模様編みにも挑戦しながら・・・
大学生の頃には、極太糸で、ヨーク部分に編み込み模様の入ったセーターなんかも作れるようになっていた。自分で言うのもなんだけど、かなり進歩したもんだ。


当時は冬になると部活の友人たちとスキー合宿に行ったりしていた時代。
その時も模様編みのセーターを着て行きたくて編み進めていた。

前身頃と後ろ身頃は出来ていたけれど、袖がまだ未完成。
スキー合宿は明日出発なのにな・・・無理かぁ。
と、諦めかけていた時に母が身頃を接ぎ始めてこう言った。

「左右から編めば、明日の朝には出来上がるよ」

セーターもいろんな作り方があるけれど、その時は身頃を編んで、袖も別々に編んで、最後にくっつける(はぐ)。でもそうやっていたら時間が足らない。
なので、先に身頃をはいでしまって、袖ぐり部分から拾い目をして二人同時に編めばいいんじゃない?と。

編み物を熟知している母の提案に乗って、二人で一緒に夜なべした。黙々と編んだ。黙々と編んだけれど、出来上がったのは明け方に近かった。

編みながら「これでもし雪崩にあっても、母といい思い出ができたからいいや」なんて思ったりした。
もちろんスキーからは無事に帰ってこれて、いい思い出のセーターが出来ただけになったんだけれど。


一番最後に編んだものはなんだろう?と考えても、すぐに思い浮かばない。姪っ子にあげた手袋だったかなぁ。。。これももう5〜6年前のもの。

スマホが触れるように指が出るタイプ
ミトンのカバー付きの手袋🧤


こんな風に記事を書く企画に参加して、久しぶりに編み物に思いを巡らせたら、また何か作りたくなってきた。

セーターほど大作でなくてもいい。すぐに出来上がる毛糸玉1〜2個で作れる小物がいいかな。

手芸屋さんの近くを通りかかったら、あったかい色の綺麗な毛糸を見に行ってみよう。


参加させていただく機会を得られ、とても楽しかったです。
ありがとうございました🎶





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