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物悲しい氣持ちの元をたどる


またぶち上げてしまった😅

そんなもの、人それぞれでしょうに〜で終了しそうなテーマだな。

それでも、春先のポカポカ陽気の行楽地や、盛夏の真っ最中に汗ダラダラ流しながら「物悲しくてね」なんてやってる人はあんまり見かけない。

やっぱり今の時期には今の時期に感じる感情があるんだろうな。

ってことで自分流「物悲しさ」についてちょっと考えてみよう〜🎶
(お付き合いいただける方は、読み進めてくださいませ〜😆)


今年は残暑が長引いて10月に入っても半袖で汗だく〜な日があったり、そうかと思えば前日から一気に温度が下がってサムサム〜と5枚も着込んだ日があったり(薄いものばかりだけど、気がついたら5枚も着てた🤣)


肌寒くなる、あったかいものに触れたい、人肌が恋しい・・


これはあるかもしれんね。
確かに、数えたら5枚着ていた日もポカポカあったかくなってホッとしたし。

「ホッとしたい」

キーワード出てきましたよ〜🎶

そうだね、寒くなってくると軀もキュッと縮こまる。
血管をキュッと閉めて血流を抑えて、体温が逃げるのを防ぐんだろう(多分)
なので、筋肉も硬くなって動く範囲に制限もかかったようになる。
寒い日の朝、指が悴んだりすること、あるもんね。

お昼間はさほど物悲しくないんだよね・・・。
あ、明るさの問題もあったりするかも!💡!

秋の日暮れは昔から
「釣瓶落とし」に例えられるぐらいあっという間に暗くなる。

余談だけど「つるべおとし」って入力したら一番最初に「鶴瓶落とし」って出てきた・・・鶴瓶さん落とされてるし🤣


しれっと話を戻す。

真夏の夜はなかなか暗くならない。
夏の風物詩の花火大会でも、打ち上げ初めは薄明るい時もあったり💦
(花火大会もとんとご無沙汰だけども)

考えてみたら春だって秋と昼夜の時間は同じ配分のはずなのにね。
春は明るい時間が増えていく、秋は日に日に減るからなのかな。

増えていく時はワクワク感があり、少しずつ減っていくとやっぱりそこには寂しさっていう感覚が伴うのかも?

とはいえ、秋の夜長という言葉も昔からあり、少しひんやりした秋の夜の空氣感も、他の季節にはない氣持ちの良さがあったりもしますよね🙄


先日terucchiteruteruさんが書いておられた記事に紹介されていた本を買ってお風呂の友にしつつ読んでいて。。。🛀

東洋医学によれば「秋」は「肺」と関係が深く、「肺」は「憂い」や「寂しい」という感情とリンクしているそう。

「肺が弱ると、物悲しくなったり氣分が鬱々」し、反対に「物悲しくて氣持ちが滅入る」と「肺に影響が出たり、機能低下する」とのこと。
やっぱり氣持ちと軀って繋がってるんやねぇ。


秋は、夏の暑さや多湿が落ち着いて、空氣が乾燥し始め、植物は実りをつけるとともに葉を落として枯れていく季節。

成果としての実りを残して、葉はその役目を終えてひっそりと枯れる。
日本人的に言えば「侘び寂びの感動」がここにあるって感じ。

一時は青々と茂りに茂っていたものたちも、実りを残して葉っぱたちはサラッと消えていく、なんと潔いのだろう。

もしかしたら「物言わぬ」葉っぱたちの潔さに対して、人は「もののあはれ」を感じるのかもしれませんね。

食欲の秋を謳歌しつつ、葉っぱの想いに氣持ちを馳せる。


温度、光、そして実りをもたらしてくれた葉っぱたち・・・

いろんなことが相まって、この季節の「物悲しい」氣持ちが生まれているのかなぁ・・・
そんなふうに思いました。

わっしょい!٩( ᐛ )و
今日はお話がまとまった氣がして嬉しいぃ〜🎶


ここまで読んでくださりありがとうございました(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ






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