発達障害=コミュ障説は、本当か。
今やメディアで耳にしない日は無い「発達障害」
子供たちの間で、年々増加していることで、社会問題になっているようですが。
霧島のもとにもよく「自分は発達障害ではないのか」という方たちが、相談に来られます。
ほとんどが「自分は人と円滑なコミュニケーションが取れない」と仰います。
なかには、ほぼ初対面で「自分はどこに行っても皆から嫌われるんです。」と切り出す猛者もいます。
コミュ障の代表格といわれる自閉症当事者(俗称・アスペ)に、そんな相談を持ち掛けてくる時点で「どうよ」って話なんですが。
で、皆様、『健常者』のハイスペックぶりについて、熱く語られるんですが、あまりに度が過ぎて「健常者=万能の神とでも思ってるんですか」と嫌味の一つも言いたくなることがあります。
1000年に一人の美少女ならぬ、3日に一人の神様。
やだ、何、このありがたみの無さ。
個人主義ですが、それが何か。
霧島、お友達は多いほうですが、疎遠になった人、絶交した人(喧嘩したわけではなくても、もう二度と会いたくない人も含む)も、それなりにいます。
でも、これって当たり前だと思うんですね。
みんなと仲良しこよししたいわけでは無いし、知り合いが増えれば、当然、気の合わない人の割合も増えるので。
特に、霧島は浅く広く、という付き合いが苦手で、少数精鋭でじっくり向き合える人が好きです。
人に対する間口は広いですが、それって「何人(なんぴと)であれ、差別しちゃいけない」という強迫観念からくるもの。
ポリシーというほど、格好よくも、キレイでもないです。
見るからに不潔だったり、黒いオーラを漂わせている人は、そりゃ霧島だって遠慮したいですよ。
君たちは、隣人を信頼できるか。
「霧島さん、いい人ですね」
この台詞は、約8割の方が「都合のいい人」の略で使ってます。
こういう場合、「そんなことないですよぉ」と謙遜するのも面倒なので、とりあえず笑顔で礼を言っておきます。
褒められたら、お礼を言う。(たとえ嫌味やイケズだとしても)
人間としての最低限のマナーです、はい。
これには、もうひとつ意味があって。
他人を「都合のいい人」としてしか扱わないようなアンタと一緒にしないで、という牽制なんです。
品というのは、時に身を守るための無数の棘になるのです。
これもかなりイケズですけど、海外のブラックジョークで「エクスキューズミー、サー?(よろしいでゲスか?旦那様)」というのがあって。
要は、裸の王様扱いですね。
本心なんて、良くも悪くも、自分が思っている以上に、周りに駄々洩れなものです。
もちろん、本心から褒めてくださる方もいらっしゃいます。
その時は、同じ「ありがとう」の一言でも、めいっぱいの喜びと愛をこめます。
霧島、褒められると伸びる子。
自分を客観視できるか否かが鍵になる
例えるなら、霧島は、雌の白猫です。飼い猫です。野良じゃない。
甘えたでプライドが高くて、我がままです。生まれてこの方、自分が姫だと信じて疑いません。
「抱っこしてにゃーん」と寄ってきて、抱っこされると「いやーん、いやーん。離してにゃーん、」と顔を引っ搔き、また5分後に「抱っこしてにゃーん」と寄ってきます。
お前、ええ加減にせえよ、って話ですが、そういう自覚があるからこそ、自分というものを受け入れつつ、それなり他人とうまくやっていけているように思うのです。
実際、自己否定や謙遜が過ぎる人ほど、やたらプライドが高かったりしますからね。
高いだけならまだしも、屈折してるし。
人としての歪み具合が、霧島といい勝負。(これって凄いことよ。)
そういう人にお会いすると、「本音は、自分にとって都合のいい存在が欲しいだけなんだなぁ」と思い、ため息をついてしまいます。
果たして「健常者」はコミュニケーションのプロなのか。
霧島も「普通の女の子」にあこがれる気持ちはありました。
が、憧れは、あくまで憧れだから、尊く、儚く、美しいのです。
現実と憧れは別物です。
霧島は20歳から今まで、さまざまな仕事をしてきましたが、
はっきり言うと、常識&人間性を疑うような人間は、職場に一人はいました。
一人なら良いほうで、同僚、上司の大半が『ヤバめな人』だった、というケースも稀にですが、ありました。
(詳しく書くと、オホーツク海に沈められるので書けませんが)
しかし、だからといって、彼らが皆、一人残らず『発達障害(もしくは精神病)』だとは、私は思いません。
今も昔も社会は、暗黙の了解で成り立っていて、たとえ他人を犠牲にしたとしても、要領よくやれた者勝ちです。
『マジョリティ』に有利な社会が出来上がるのは、もう動物の性(さが)ですからね。
しかし、だからといって泣き寝入りしている場合ではありません。
私たちにだって人権がありますし、その前に、明日も生きていかなきゃいけないんだもの。
だから、そんな人たちに、振り回されないでほしいのです。
それとね、優雅に水面に浮かぶ白鳥だって、水面下では足を必死でばたつかせてるんです。
「みにくいアヒルの子」も白鳥になれたからといって、幸せ、幸せ、めでたし、めでたし、じゃないんですね。
非情にも人生は続いていく。
だからね、まず今は、よそ見なんてしてないで、自分にできること、やるべきことをコツコツやっていきましょ。
大丈夫、大丈夫。
これだけ性格の悪い霧島でも、支えてくれる仲間に恵まれたんですよ?
そう考えたら、ちょっとは気が楽でしょ。
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