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破壊と再生~積極的分離?

私はこれまで自分の記事の中で、大学入学後、間もなく精神を病んだことに度々触れてきたが、詳しく書いたことはなかった。
しかし、何か似たような状況にある人がいるかもしれないと思い直し、今回のテーマはそれにすることにした。
直近の記事と内容自体は被る部分があるが(特に婚活ネタ)、テーマに合わせて視点を変えて語り直している。

はじまりは、親元を離れて大学に進学し一人暮らしを始めて、これまでの自分の生き方は間違っていたのではないかと疑ったことからだった。
本当にこのままではいけないと思ったのは、奇妙な症状が現れだした頃からだ。
日常の買い物、通学時など用事があって外出したときに、普通の道路を歩いているはずなのに、地面がしっかりと堅い感じがせず、足がフワフワしてきちんと歩けていないという感覚に陥った。
現実には道路はしっかりしていて、自分は千鳥足のようにふらついて歩いてはいないということは分かるのだ。
試しに足の裏に意識を集中させると、路面に靴底が触れた瞬間、確かに堅いアスファルトの感触がするが、同時に足元が定まらず身体が浮くのが、一歩歩くごとにリアルに感知できた。
その頃、道行く人が(良からぬ思惑を持って)自分を見ているという典型的な妄想状態も起こり始めた。
もちろん、自分の妄想だということも分かっているのだが、見られているという感覚もリアルに感じるのだ。

現実の世界と自分の感じている世界が一つではなく二重になってしまった。
今は主に一人で出かけているときだけだが、悪化したら人付き合いを含む社会生活を送るのに、ズレた内的世界を抱えながら、外的世界に焦点を合わせ続けなければならなくなるかもしれない。
そして何よりも怖ろしかったのが、外的世界と調和していたはずの内的世界の地面が、つまり土台が揺らいで崩壊する予感がしたことだ。

私はこの事態を何とかするために、一人静かに過ごす時間が欲しかった。
大学の学生課にまとまった休みを取りたいと申し出たが、理由が体調不良の場合は医師の診断書が必要だと告げられた。
私は最初、身体的な症状を理由にしたくて内科に行ったが、診断書が出せるほどの異常は見つからなかった。
地元を離れていたため、医師に事情を話して便宜を図ってもらえるほどのコネもなく、難しそうに思えた。
当時は精神科のイメージがあまり良くなかったので避けたかったが、背に腹は代えられない。

私は最初、通いやすそうな町の精神科に行くことにした。
当初は私がこのようになったのは家庭環境が原因だろうと思い、医師にそう話した。
「お母さんがしっかり者で、お父さんが頼りない? そういう家庭はよくあるんですよ。え? 診断書が欲しいの? それくらいの理由じゃ無理ですね。気分が良くないのはこの時期、昔からよくあるんですよ、5月病って言ってね…」
話の持っていき方を完全に間違えたので目的を果たせなかった。

1件目の病院で学習したので、2件目では私の幼少期から現状までの異常に見えそうなエピソードをピックアップして話し、無事に診断書を手に入れた。
「心因反応」という、いろいろ便利に使われる診断名がついた。
医師から定期的に診察を受けにくるように勧められた。
自分の話を遠慮なく出来る機会を面白く思ったので、しばらく通うことにした。

担当医師は、妄想を本当のことのように感じているのに、同時に妄想であることを分かっている状態は珍しいと言った。
いわゆる病識がある状態だが、恐らくこの状況で自ら病院に来る患者は少ないのだろう。
そこは私が通学していたところではないが、大学の付属病院で、特殊な症例と見なされると学生たちに見学させていたようで、何回目かの診察のときから、私の番が来ると5、6人の学生が部屋に入ってきて、壁際にズラリと並べられた椅子に座り、私はといえば自分の異常性を真顔で話すという、シュールな光景が展開されるようになった。
医師は初老の大学教授でいろいろな患者を診てきたのだろう、彼に話すことで自分のズレ具合を客観視できるのが興味深かった。

あるとき医師の手元に開かれたままの私のカルテがあり、精神分裂病(現在の統合失調症)の文字が目に飛び込んできた。
「私は精神分裂病なんですか?」
別にショックは受けなかった。
診断名は心因反応ではなく、こちらが事実なのか聞きたかっただけだ。
これが正しい病名ならば、自分で治すための重要な手掛かりになるからだ。
彼は慌ててカルテを閉じ、いや、適切な薬を処方するためにそれらしき病名をつけなくてはならない。
あなたの症状は精神分裂病に近いが、恐らく本物のその病の患者ではないと言われた。
処方された薬は1、2回飲んでみたが、特に変わった感じはせず、自分の脳が薬物でコントロールされるのが気に食わなかったのでやめた。

のちにこのときのことを初彼氏(現夫)に話した。
私がバラバラになって、もう元には戻らないだろうと思ったときに、元に戻す必要はないんじゃないか、なぜなら同じ理由でまた壊れるだろうから、だったら新しく作り直そうと考えた、というような表現をしたことを覚えている。
この現象には積極的分離という名前がついているらしいのも、だいたい同時期に彼から教わった。

積極的分離には段階があるらしいが、正直に言って私は自分が進歩している感じはない。
私はこの状態になる前から、リバタリアニズム、禅宗、老子の思想に強い憧れを抱いており、今現在でもこれらの思想は私の世界観の柱になっているからだ。

リバタリアニズムに関しては説明がいると思う。
これは簡単に言えば、他者の権利を侵害しなければ何をしてもいいという政治思想・哲学の立場のことだ。
個人(精神)の自由と経済の自由、どちらをより重視するかで派閥が分かれ、政府にどれだけの権限を認めるかも違っている。
私は個人の自由を重視するほうなので、基本的には自由な競争の結果、不運にも転落してしまった人を救済するために、ある程度の富の再配分を認める立場、つまり経済の自由は多少制限をかけて、社会保障に振り分けてもいいと思っているのだが、個人の自由を最大限認めるのならば、経済の自由も最大限認めるのもやむを得ないくらいの幅があるスタンスだ。
行きすぎた自由の結果、無政府状態になるのは反対だ。
個人の裁量権を拡大しすぎた結果、人によって裁量権の範囲に大差が出て、実質的に個人の自由が失われる人が大量に生まれるのでは、私としては本末転倒だからだ。

リバタリアニズムに惹かれたのは、親、特に母親と価値観が違っていたので、そこから抜け出したかったからだと思う。
父も良い親ではなかったが、価値観の違いで深刻に衝突するほど、私の親として関わっていなかった。
ただ、母ともまともに衝突したことはなかった。
親の思っている通りに、大学を卒業して社会に出て自立すれば、この3つの憧れの生き方に近づけると勘違いしていたからだ。
だがレールの先にそれはなく、そもそもその憧れを諦めてレールにしがみついたところで安寧はないことにも気づいてしまった。

いずれの道を選んでも待っているのは死だが、レールから降りるほうは物理的な死は早まるかもしれないが、精神的な死までの寿命は延びるのではないか?
行けるところまで行こうと思った。

客観的に見れば、精神的には回帰だし、やっていることはニートだしで、全く進歩もなく格好も悪かったので、あれが積極的分離だったのか自分でもよく分からない。
あの頃は、やっていることはダメ人間の振る舞いなので、このまま人知れずいつか生活が破綻して死ぬことになっても仕方ないかなぁという、覚悟というよりは消極的な諦めが取りあえずついたという状態だった。

あの頃は、今よりも生死を賭けて自分自身の内側を掘り返していた。
私にとって内省とは、腐った汚物を掻き分けて、たとえ残酷なものだとしても真実を見つけ出すことだった。

私は醜悪な行いを繰り返している存在が、実は純粋な子供のような夢を追い続けているだけなのを見た。
本来は善人だったはずの存在が、自覚せず残虐な行いをしているのを見た。

善悪を超えたその先に、きっと真実があるだろう。
だが、たどり着けないかもしれない、いつか自分自身に負ける日が来るかもしれない。
死にたくなったが、本当に死んでしまったら、こうして考えることもできない。
外的世界と内的世界は相変わらずズレたままだったが、どうズレているのか割と正確に把握したので、一歩引いた感じで外界に接触している状態まで回復した。
要するに周囲から見ると、一旦は変人ポジションに落ち着いたのだ。
(面と向かってゴミ呼ばわりされる機会が少ない程度には、周囲の人々には恵まれていた)

レールから降りた、つまり大学を中退して、実家という明らかに自分とズレているが慣れているので対処しやすい外界に戻ってきていたのだが、30代半ばになって、このズレを修正する機会が訪れた。
家庭内のゴタゴタが片付いて、実家を出ていける状況が整ったのだ。
ただ、そのような状況になったというだけで、実際に出ていくかは別問題だった。
実家を出ていく選択をしたとして、自分にとっての利益を最大化するパターンは?
(私がリバタリアンであることを思い出してほしい)
それは、相性の良い相手と結婚することだ。
これで最も接触する時間が長い外界、つまり家庭環境と、自分のズレを最小化できる。
私はニートだったが、リバタリアンになると、まず就職するという至極真っ当な選択を後回しにして、自分の幸福を最大化する選択に目がいくようになる。
もちろんリターンが高まるのに比例してリスクも上がるが、リバタリアン的生き方とは、必要なリスクは引き受けるのが当然なのだ。

私は婚活を始めたが、早々にリスク計算が甘かったことを思い知らされた。
私としては、相性の良い相手が見つからなかったら、諦めて実家で日銭を稼ぎながら細々と暮らしていく予定だった。
だが、相性が良いどころではない、これはかつて死地を乗り越えてきた人だという男性に出会ってしまったのだ。

それは見積もりを遥かに超えるハイリスク・ハイリターン案件だった。
ズレが最小化どころか、こちらから積極的にズレている部分を修正したくなるくらいだった。
ああ、この人に振られたら、ショックが大きすぎて延命したはずの精神的な死が早まってしまうかもしれないと思った。

彼に近づきたくば、実家に住み続ける選択をしたことでやり残した内省、あの破壊と再生をもう一度行う必要があった。
今回のそれは、かつての世界そのものが揺らぐほどではなく、彼とぶつかって華々しく討ち死にする予定も織り込み済みだったので、自ら死にたくなることはなかったが、心身の消耗はかなり激しかった。
(恐らくこれはアダルトチルドレンが素敵な交際相手と巡り会っても、辛くて手放してしまう現象に通じるものがあると思う)

結果的に彼と結婚したので、理解のある彼くんに出会っただけに見え、やっぱり格好が悪い。

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