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社会人になるワタシが見る「千と千尋の神隠し」

11月から、東京に行く。

もちろん働きたい会社に出会って、
やりたい仕事ができるから
ワクワクしている。

でも、何よりも怖い。

こんな自分でも一人でやっていけるのだろうか。
生計を立てることはできるのだろうか。

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いつからだろう、
新しい環境の「ワクワク」から「怖さ」の感情が体を
蝕んでいくようになったのは。

大学に入っていろんな挑戦をしてみた。
団体の委員長をしてみたり、新しいバイトを初めてみたり。

新しく「人」に出会って、支えられて
また新しい「人間関係」に悩んだ。

そしてどんどん自分を知っていくうちに、
自分が無知で、どうしようもないことを知り続けるたびに、
限界が見えてくるようで、新しい環境が怖くなっていく。

気が滅入りそうになっている時に、久しぶりに見た
「千と千尋の神隠し」

中学生の頃に見た「千と千尋の神隠し」は
湯婆婆が怖く、銭婆が優しい。
ハクがかっこよくて、千尋がキラキラしていたように見えた。

今の自分が見る「千と千尋の神隠し」は
そんな中学の頃とどこか違うように思えた。

可能性が無限大に感じた昔の自分が思い出される。
人のせいにするんじゃなくて、
自分でどう立ち直るのかを考えて
何事も一生懸命になっていた昔を思い出す。

クライマックス。
ハクが千尋を迎えにくる。
正義のヒーロー映画のように誰かを倒すわけでもなく、
ハクが千尋のために迎えにくるのだ。

千尋は、人のために何かをすることの素晴らしさを知っている。
とっても綺麗な心。
そして、可能性は無限大であること。
また新しく頑張っておいで、と伝えられたような気がした。

なんだかんだ人は助けてくれた。
そんな人生だった。
だからこそ、

"千尋の元気が出るようにまじないをかけて作ったんだ。お食べ。"

という言葉は深く自分が包み込まれるような気がしたし、

"セ〜ン!お前のことドンくさいって言ったけど取り消すぞ〜!"

とリンが千尋に伝えた時はとびきり嬉しい気持ちになった。

小さな家族のドタバタ劇で、
最初の千尋は小心者だからこそ、
あたたかくて、自分だったらと想像したくなっちゃって
千尋を抱きしめたくなる。

世界観に引きずりこまされる音楽

自分はオーケストラで演奏をしていたから、
もちろんジブリも子供向けの演奏会で演奏したことはある。

何度も演奏しながらこの音楽の凄さを痛感するが、
やはり劇中に出てくるものはまた違う良さがある。

ノスタルジックな気分を高揚させるオーボエのメロディ。
オーボエは悲劇の中心に使われることが多いように思うけれど、
ここはどこか自分も励まされるような気持ちになる。

昔を思い出させるかのような「和」と「洋」が混ざり合う感覚。
オーケストラというものは西洋の音楽を表現する
媒体であるのにも関わらず、
この音楽は日本だ。

日本の美しい自然と、昔からの文化(アジアを含める)を感じさせるのことがすごいことであるように思う。

ドイツに旅立ち、日本にホームシックさえ感じなかった友達も、
「ふたたび」を聞いて涙が出たらしい。

ピアノとオーケストラの掛け合いは、一人から仲間が増えていくような、
そんな感覚にさせてくれる音楽に何度も衝撃を受けた。

日本の代表的な作品である「千と千尋の神隠し」

ノスタルジックに過去を感じて、未来に勇気をくれる作品。
これが、ジブリ作品のすごいところで、昔と今では違う見方に感じる。

どんな角度から映画を見ても完成されすぎている。
右も左もわからずもじもじしていた千尋が、
自分の力で、最後には父母を見つけ出すまでに成長する。
この「成長すること」ももちろん素晴らしく表現されているように思うが、
一番は、やはり、「自分が持つ可能性」
美しく描いてくれている作品なのではないか。

かく言うワタシはまだ大学生の若造である。

30歳のワタシが見る「千と千尋の神隠し」には何が隠されているのだろうか。


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